「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(49) |
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「[ろ]から始まる言葉」のメモでございます。
「[艪]ろ
船を漕ぐ道具で[櫂]より大きいものでございます。
早緒と申します綱を掛けて、梃子と艪のしなりを使って漕ぎます。西洋のオールに比べて効率がよく、ひとりで大きな船を動かすことができます」
[櫂]の大きいのが[艪]と思っていたがそれだけじゃないのか。
[艪]を使用する船の場合は、[艪]が使いにくい離着岸のときに[櫂]を使用する。
こっくりこっくり眠りこけてしまうことを「船を漕ぐ」というが、それは[艪]を操作する動作をメタファーとした表現のようだ。
「[籠居]ろうきょ
公家、武家の刑罰のひとつで、謹慎のことを申します。
部屋での謹慎を[蟄居]、
家の門を閉ざしての謹慎を[閉門]『押込』、
昼間だけの謹慎を[逼塞(ひっそく)][遠慮]と呼びました。
もっとも軽いものは[差控(さしひかえ)]という停職処分でございます」
武家の刑罰がなぜ自宅への拘束だったかというと、住居が幕藩から賜ったもので所有権は幕藩にあったからだ。
江戸の牢屋では、武士は牢屋敷内に設置された特別な「揚屋」に入れられた。
土佐藩では武士に上士と下士があり、上士は拷問されず下士は拷問された。
こうしたことは、基本的にまともな武士は悪い事はしない、した場合は罪を認めるか恥じ入って切腹するという建前があってのことではなかろうか。武士の恥を他の身分の者に晒さないということが暗黙に了解されていたのではなかろうか。
現代の言葉遣いでも[遠慮]する、[差控]るが一般によく使われるから、なんか軽い刑罰のように感じるが、停職処分以上で出勤停止か昼の自宅謹慎と重い。何より家名に傷がつきいろいろな支障が生じる形の社会的な制裁を伴ったのではなかろうか。
庶民の刑罰が牢屋への監禁や移動や強制労働であるのに対して、武士の刑罰は「お家」と「家職」という家督に関わる体系という異なる次元にあったと言えよう。
だから、恥じ入って切腹するというのは建前で、本音は言い訳をしてお上の心象を悪くして家督に支障を来さないように「詰め腹を切る」ということだった。
「詰め腹を切る」とは、強いられてやむをえず切腹することだが、「部下の不始末で―を切らされる」などと 本意でない責任をとらされること。強制的に辞職させられることを意味する現代でも会社や役所で使われるぶっそうな言葉である。
こういう言葉遣いが残存していること自体が、現代の日本人の組織や人間関係においても江戸社会的な様相が残存していることを示している。
「[狼藉]ろうぜき
乱雑な様を『狼の寝床』に例えていう言葉です。
乱暴なこと、またはその状態を申します」
「狼の寝床」の状態をメタファーにした表現だが、ほんとうに「狼の寝床」は乱雑なのだろうか。それとも、狼なんだから乱雑な筈だという仮想なのだろうか。
調べてみると、「史記」滑稽伝に、狼が寝るとき下草を藉(ふ)み荒らすことに由来する漢語なのだそうだ。踏み荒らすとクッション性や保温性なり通気性がよくなるのか。
[狼藉]は、乱暴な振る舞いのことも言うが、こちらは日本での派生的な用法という。
乱暴な振る舞いをした結果、乱雑な様が生じる、この結果をもって全体の過程を表現する換喩と言えよう。
「[牢名主]ろうなぬし
[牢屋敷]の牢内で、囚人の管理を任された囚人の長を申します」
日本人の身分空間は、水平方向には「縄張り」という概念が、垂直方向には「役割」という概念が一貫していて、それが全体の支配被支配関係を形成している。
たとえば、幕府は諸藩に領地という「縄張り」を分担させ、藩内のことは藩主にその「役割」として一任するという基本形式をとっている。
同じ基本形式が、各種の株仲間、町毎の町役人、村毎の名主、非人たちを取り締まった非人頭、盲人たちの自治的互助組織である当道座や瞽女座(前者が男性、後者が女性)などにおいて展開している。そして牢屋の[牢名主]においてもで、身内での自治や自己裁量が委ねられた。
現代で言えば、地方分権、小さな政府の江戸幕府版ということか。
こうした「世間」の構造ないし想定は、現代の日本人にも色濃く残っている。
本来の日本型経営の知識創造エンジンの強みは、野中郁次郎氏が指摘した「ミドル・アップダウン・マネジメント」である。
(参照:「発想促進をする集団独創論 キーワード 『ミドル・アップダウン・マネジメント』」
http://cds190.exblog.jp/20471180/)
その概要は、
①「セマンティック・カタリスト(意味の触媒者としてのトップ)」
②「ナレッジ・エンジニア(知識の触発者としてのミドル)」
③「エキスパート(知識の適用者・開拓者としてのロアー)」
の三層構造において、
②が媒介となって①と③を上下に活性化させるというものである。
ただし、
これはあくまで本来の日本型経営の理想形であって、多くの日本企業でこれが実践された訳ではない。
多くの日本企業の実態はどうだったかというと、江戸的だったのである。
①が②に「縄張り」と「役割」を与えて一任する。②は自己裁量において③を動かすというものだ。
②が部課長であれば、「個人商店」と揶揄された。
②が事業部門であれば、事業部門が他の事業部門と連携せず相互不干渉を暗黙の了解としてそれぞれに勝手なことをする。「部門が違えば別の会社だ」と当たり前のように言い合っていた。
ちなみに、バブル崩壊後、ミドルマネジメントを無駄として中抜きする「フラット化」が横行したが、それはトップが①②③をすべて一身に担って戦略構築し組織設計管理する、組織の機械論化と人材の機械部品化であった。よって、「フラット化」で現場への権限委譲が進んだと言われるのは、③のやる事がほとんど決まっていて、その割り振られた分担の中で自由裁量、自己責任でやりなさいということでしかない。
現状、かつて本来の日本型経営で「ミドル・アップダウン・マネジメント」をしていた企業のほとんどは、日本型経営を短絡的に全否定し、前者の「部門が違えば別の会社だ」を前提に好採算部門だけを残す「選択と集中」をして、後者の「フラット化」つまりは組織の機械論化と人材の機械部品化に走ってしまった感がある。
しかし不思議にそれでもまだ日本型経営と呼ばれているのだが、私にはその理由がよく分からない。
本来の日本型経営は、例外的に短絡的な全否定をせずに、短所を払拭し長所を現代化および国際化して伸ばした優良企業が発展的に継承している。オールドエコノミー型で言えばトヨタやIYグループやニトリなどである。
これらは、「ミドル・アップダウン・マネジメント」の②「ナレッジ・エンジニア(知識の触発者としてのミドル)」を縦横無尽、国内外にネットワークさせているのであって、①が②に「縄張り」と「役目」を与えて後は良きに計らえと丸投げするでもなく、トップが①②③をすべて方向づけて機械論的枠組みをすべて決めてしまうでもない、とても有機的な発展をしている。
「[浪人]ろうにん
『牢人』と、古くはこのような漢字を使いました。
仕える主人がありませんので、浪々のお侍という意味でございます。
職を求めて都会へまいりますが、職はなかなか得られませんでした」
現代ではいつの頃からか、大学受験に失敗して再チャレンジする者を[浪人]というようになった。
そして今、大学を卒業しても就職できない者を「就職浪人」と言う。
しかしもともと[浪人]は武士の「就職浪人」だった、というややこしい話だ。
[浪人]は、古代においては、戸籍に登録された地を離れて他国を流浪している者のことを意味し、浮浪とも呼ばれた。身分は囚われず全ての民衆がなりうる。
一方「牢人」は、主家を去って(あるいは失い)俸禄を失った者をいう。室町時代から江戸時代にかけての主従関係における武士や侍のみに当てられる狭義の身分語だった。
江戸時代になり戦火が収まると、改易などにより各地を流浪する牢人が急増した。そのため浮浪する「牢人」を[浪人]と呼ぶようになった。
こちらもややこしい話だ。
ややこしくないのは、いつの世もまたどの身分も誰かに雇われるという機会は安定していない、職を求めて流浪する人がいたということだ。
現代では、「雇用の流動性」というが、「雇用の受け皿」がなければ流浪でしかない。
「貧しい暮らしに絶えられず、[士分]を捨てる者も多くありました」
現代で言えば、サラリーマンを辞めて脱サラする、正社員になるを諦めて派遣やパートで暮らすということに重なろうか。
「[蝋の流れ買]ろうのながれかい
蝋燭を灯しますと、蝋が垂れますな。当時はそれも無駄にしませんで、家々を廻り買い集めました。買い集めた蝋を使ってまた蝋燭を作ります。リサイクルした蝋燭はちょっと安いので、庶民も[提灯]の灯りなどに使いました」
私はこれを読んで、家でいろいろなモノに使っている電池が切れてきて交換する際、古い電池に電気が残っていることを思い出した。
テレビのリモコンなどに使い回す時もあるが、たいていは電気が残っていても捨てている。エコ的には心苦しいところだ。
この沢山の古い電池の残った電気を、時間がかかってもいいから一本の充電池に充電できる装置が安くできれば、現代的リサイクルの[蝋の流れ買]になるなあ。
そんなことを思うくらいなら最初から充電池を使えばいいようだが、電池交換の時にわざわざ充電するのが面倒で、100円ショップなどでまとまった安売りを見掛けるとつい買ってしまうのは私だけだろうか。