トランスパーソナル心理学を応用する(1) |
マズローの託した夢、トランスパーソナル心理学
マズローが亡くなったのは1970年でした。
その1年前にマズローらが中心になって「トランスパーソナル心理学会」が創設されました。
「マズローにとってトランスパーソナル心理学会の創設は、彼のいのちに最後に与えられた使命だったのでしょう」と著者は述べています。
本書は、トランスパーソナル心理学の成り立ちと概要をとても分かりやすく解説しています。詳しくは本書を読んで戴くとして、本論では、「発想ファシリテーション」の目的と手段に関わる前提的事柄だけを検討していきたいと思います。
はじめにトランスパーソナル心理学について、誤解のないよう道筋をつけましょう。
まず、トランスパーソナル心理学はパーソナルをトランス(trans)する
「個人がその殻を突き破り、みずからを開いて、越えて行く心理学」
という意味です。
著者は心理学を3つの大きな流れで説明できるとします。
「第一の流れは、行動主義心理学、科学的心理学。客観的で機械論的で実証主義的な心理学のグループ。自然科学的な客観性を追求する中で、客観的観察の対象とならない内面の世界を考察対象から除外していった”人間の行動学”としての心理学です。日本でもアメリカでもヨーロッパでも、このグループが心理学の主流をなしています」
私たちが着目すべきことは、企業はじめ組織のマネジメントやマーケティングのおおかたの理論も同じ<客観的で機械論的で実証主義的なパラダイム>で成立している、ということです。
「第二の流れは、フロイトの精神分析から生まれてきたグループ。夢や無意識を扱う深層心理学の流れで、力動心理学とも呼ばれます。書店の心理学コーナーで、最も幅を利かせているグループです」
マネジメントやマーケティングの関係では、口語体のフロイト理論と呼ばれる交流分析が<人間関係論>として応用されています。ユング理論については、<シンボリックなトップやマネージャーを神話化する文化人類学由来の方法論>がその影響を受けているように思います。<社会勢力論やリーダーシップ論>を扱う対人社会心理学もこの領域にあります。
「そして第三の流れが、この二つを批判する形で生まれてきた人間性心理学のグループ。実存心理学とか現象学的心理学などもここに含まれます。このグループの形成に最も大きな影響を果たしたのはアブラハム・マズローで、(中略)
トランスパーソナル心理学は、第三の流れである人間性心理学の発展のプロセスの中で生み出されたもの」
と著者は解説しますが、著者自身が引用するようにマズローはそうは捉えていなかったようです。
すでに前掲論文でマズローの言う「自己実現」について触れましたが、それは典型的には至高体験を伴うような成長動機(B認識B感情)を伴うもので、一方おおよその企業活動が欠乏動機(D認識D感情)に促されるものだけに、<自己実現を意図的に促進する組織論>はこれからのように思います。しかし、旭山動物園をはじめとするプロジェクトXの数々の感動物語や、エーザイのヒューマンヘルスケア理念を軸とした知識創造と人材育成の統合などの話題によって、マネジメントやマーケティングの関係者に大きな関心を呼びつつあります。
トランスパーソナル心理学の成り立ちは、マズローの軌跡を追うことでシンプルに理解することができます。
人間性心理学の代表的人物、マズローは最初、心理学の第一の流れから入ります。しかし、自分の赤ん坊が生まれると、人間は機械であり科学的に改善しうるという発想について行けなくなります。また、心の病理的な側面にばかり着目するフロイトの精神分析を批判し、心の健康な側面に目を向けていきます。自分の可能性を十分に実現しきっている自己実現人間(そして誰にもたまに訪れることのある自己実現的瞬間)の研究を展開します。
ちなみに著者は、以下のようにマズローがあげた自己実現人間の特徴を整理しています。
「孤独やプライバシーを好み、欠乏や不運に対して超然としていること。
文化や環境からの自立性。
人生をいつも新鮮かつ無邪気に楽しめること。
しばしば神秘体験や至高体験を体験していること。
人類全体への共感や同情。深い人間関係。民主的性格。
手段と目的の区別。
悪意のないユーモアのセンス。
創造性。
確固とした価値体系。自己中心的でなく問題中心的であること。
自己や他者や自然に対する受容的態度など」
前掲論文「マズロー自身によるマズロー心理学の位置づけ」で、
<至高体験に関係するB感覚は受動的である>としたマズローと、
<それは能動的な意味づけによる注意力の拡大と集中なのだ>とする
コリン・ウィルソンの対立を解説しました。
私の結論は、自己実現を求める人間性心理学という枠組みにおいては、脳科学の知見にそうウィルソンの見解に賛同するというものでした。
しかし、その後のトランスパーソナル心理学という枠組みにおいては、マズローの主張した受動的である、あるいは受容性という主張に納得させられます。
パラダイムが次元的に転換してしまうと答えが変わってしまうのですが、それは以下、トランスパーソナル心理学の成り立ちと概要を踏まえれば了解して戴けるでしょう。
自己実現の問題の研究は、その最善最高の瞬間である至高体験にまで及び、さらにマズローの関心は「自己超越」へと移行します。
「晩年(1968年)の著書『存在の心理学に向けて』では、ついにこう書いています。
『第四の心理学、それは、トランスパーソナルで、トランスヒューマン(超人間的)な心理学。人間性やアイデンティティや自己実現などを越えていく心理学。人間の欲求や関心よりもむしろ、宇宙そのものに中心を置く心理学。』」
書店では心理学の横の精神世界の棚で一般の人々の人気を呼んでいます。
(著者はこのような指摘もしています。
「注目されるのは、”トランスパーソナル”という言葉を(現在のそれとは異なる意味であったにせよ)最初に心理学用語として使ったのが、あのユングであったということ。後にトランスパーソナルと英訳されるドイツ語をほぼ”集合無意識”と同じ意味で使っていたようです」
カリフォルニア州メロンパークにあるトランスパーソナル心理学研究所のトランスパーソナル理論の教科書(「自己成長の基礎知識」春秋社刊)では、ユングだけでなくフロイトの深層心理学の理論や概念も、トランスパーソナル心理学と不可分につながりその源泉となっているとしています。)
著者はプロローグにおいて、分かりやすくトランスパーソナル心理学の問題提起を述べています。
「トランスパーソナル心理学では、それまでの”自分”や”自分のしあわせ”中心の生き方を百八十度転換せよ、と言います」
「そして、自分を越えた向こうから発せられてくる”呼びかけ”に応える生き方、自分の人生に与えられた意味と使命とを実現していく生き方へと、生き方の大転換をはかれ。そう言うのです」
「そんな生き方をしていれば、自分はこの人生で”なすべき時に、なすべき所で、なすべきことをしている”という”生きる意味の感覚”が満ち溢れてきて、その結果、真の幸福、真の自己実現も自ずと手に入ることになる。
人生には、こんな逆説的な法則(幸福のパラドックス)が存在するのだと、トランスパーソナル心理学は言うのです」
トランスパーソナル心理学は、私たちの人生には、自分の意図や思いを越えた何かの力(個を越えた力)が働いているとします。こうした事柄の具体的な内容については、慎重に論じないと何かの宗教や信仰のように誤解されるので、機会を改めて「魂のコード」(ジェイムズ・ヒルマン著/鏡リュウジ訳/河出書房新社刊)をご紹介しつつ論じる予定です。
本論では、トランスパーソナル心理学の成り立ちと概要、特に位置づけを発想ファシリテーションとの関わりで解説することに専念したいと思います。
トランスパーソナル心理学と発想ファシリテーションとの関わり
この世界に現れている”自分を越えた力”を生きよ、自分を越えた向こうから発せられてくる”呼びかけの声”に従って生きてゆけ、と説くトランスパーソナル心理学の背後には次のような考えがあります。
「この人生で起こることには、どんなことにも、意味がある。
私たちに何か、大切なことを教えてくれている。
たとえそれが、慢性の病や人間関係のもつれ、別離といった否定的な出来事であっても。あるいは一見、単なる偶然で無意味な出来事でしかないように思えても。
なぜか私たちの注意を引きつけ、私たちに何かを言いたがっているように思える、日常生活での、ささいで曖昧な感覚。この人生、この世界での一つ一つの出来事。
そのすべては、この世界における”自分を越えた何か”の現れ。”向こうからの呼び声”がとった、具体的なかたち。
だから、そのメッセージに耳を傾けよ」
まさに、無意識が浮かび上がらせる発想とは、このメッセージのかなり分かりやすいつまり意識が受けとめやすい形になったものに他なりません。ここに、あくまで自分による意識的な思考と発想との最大の違いもあります。
そして、発想を誘い洞察を深めるコンセプト思考術は、そのメッセージが意味するところ、導くところを理解するための手立てに他なりません。
この一線において、トランスパーソナル心理学の問題提起と、コンセプト思考術による発想ファシリテーションは同一線上にあるのです。
発想ファシリテーションにおける具体的な気づきとしては、発想が浮かんだ際、それに対する一般的な私たちのメタ思考が「この発想はどこから来たのか(原因論)」を問うのに対して、「この発想はどこに向かうために授かったのか(目的論)」を問いかけると、発想を拡張深化させることができるということです。
原因論にばかり向かうと、「私たちはこういうことからこういうことを思いつきました。そこでこのようにフォーマットにまとめました」と受け手側観点とはいえ自己中心的な思考に終わってしまいます。しかし、「このアイデアを自分たちが授かったことにどんな意味があり、何を目指すことが最善なのかを探ったところこう気づきました」と自己超越的な思考にもっていくことができる訳です。そんな結論に至るまではフォーマットの記入は進みませんが、行き着けば誰もが納得するフォーマットへの落とし込みが難なく明快にできる筈です。
「独創性」というものは、一般的に過度に個人と結びつけて考えらがちです。確かに、最初に発想が個人の脳裏に浮かびます。しかし、個人の脳裏に発想を浮かばせた土壌や背景は、決して個人に完結するものではない筈です。また、個人的なイマジネーションから発想が生まれたとしても、それを他者に伝えることであるいは他者のアイデアを呼び込み取り入れることで発想は精錬されたり拡張されたり、さらには具体化して完成することができます。
私自身は、「独創性とは、その時その場に居合わせた人間ならでは浮かんだ発想を、その時その場に居合わせた人間ならではやり方で具体化して完成すること」と理解しています。典型的にはブレインストーミングですが、広義の認知を創造的に形成すべき組織においても、この意味の独創性が尊重されるべきだと考えます。それは、何事も身内だけで考えやろうとする排他主義の限界を批判するものでもあります。場をオープンかつフェアな人間関係で形成することは創造性の基本です。
著者はトランスパーソナル心理学の問題提起をこのようにも述べます。
「別の角度から見ればそれは、”個を越えたつながり”に自分を開いて生きよ、ということでもあります。
”トランスパーソナル=個を越えたつながり”。それは、みずからの心や魂とのつながり。思想信条の違いや性差・人種の違いなどを越えた人と人とのつながり(筆者注:=会社での意見の違いや立場・役割の違いなどを越えた人と人とのつながり)。集団や社会とのつながり(筆者注:=社員の人となりと職場や会社や社外とのつながり)。(中略)トランスパーソナル心理学では、”自分へのこだわり”を捨てて、こうした”個を越えたつながり”を生きよ(筆者注:無論、個を殺す全体主義になれということではない)、と説くのです」
「そしてさらに、こうした一人一人の内面での”目覚め”、深い生き方の変革は、自然発生的かつ同時発生的に拡がっていき、(中略)私のうちなる変革(精神世界の変革)と外側の世界の変革(社会変革)とをそれぞれ別個のものでなく、ひとつながりと見て、同時進行的に働きかけていく心理学。その意味で、”目覚めの心理学”であり”変革の心理学”でもあります」
マーケティングやマネジメントの世界では、愛すべき動物の姿をそのまま見てもらおうという革新をした旭山動物園の再起や、高性能低価格競争とは無縁の文脈でハーレーを愛する魂を再結集することから出直したその再起が成功したことに、多くの人々が注目しています。
その再起は、単なる企業努力の結果ではありません。旭川市民や北海道民の声援があり、アメリカ文化の象徴たるハーレーを愛するカスタマーたちの呼応に支えられての成功でした。
日本の多くのマーケターやマネージャーが、トランスパーソナル心理学の問題提起に無意識的に引きつけられていると解釈できます。少なくとも強い関心をもった方々は、何かそこには小手先のノウハウやアイデアではない大切なことがあるのではないか、そのように直観した人たちでした。
ここ数年、マスコミやマーケティングやCMの世界で、「感動」という言葉がキーワードになりました。総理大臣までが相撲の優勝戦をみて「感動した」と言いました。おそらく様々な「感動」があるのでしょうが、マズローは「至高体験におけるB認識やB感情の発露こそを感動と言って欲しい」と思っていることでしょう。
私はマーケティングやマネジメントをパラダイム転換する戦略を立案する者として、生活者やカスタマーにも”個を越えたつながり”に自分を開いて生きる契機や場を提供する商品やサービスこそが、感動商品であり、感動サービスであり、そうした価値を創出するのが感動ワークであり、感動企業であると考えたい。
さて、コンセプト思考術のパラダイム転換発想演習においては、受講者の方々に自己実現シミュレーションをいかに誘発することができるか、が私の課題です。
この自己実現シミュレーションとは具体的に何かと言えば、
前述した感動の意味合いにおいて
「誰もが自由闊達に発想しその具体化を同志とともに協力して創意工夫していけば、感動商品、感動サービス、感動ワーク、感動企業を実現していけるのだという可能性(ポシビリティ)をイメージしてもらう」
ということです。
そして、この課題を達成することが発想ファシリテーションの目的であり、その手段の重要なヒントがトランスパーソナル心理学に沢山あることは間違いありません。
それを整理して体系化するのが今後の私の作業工程ですが、次の「トランスパーソナル心理学を応用する(2)」でいくつかのヒントを本書からひろって作業工程の目処を立てることにしたいと思います。