日本を喰い潰している〈世間〉の〈家康志向〉一辺倒化 |
Facebookより
日本にあるのは〈社会〉ではなく〈世間〉。
〈社会〉は神や合理性といった人間を超えるものに直結する〈個人〉が形成する。だから議論と情報公開が基本。
一方、〈世間〉は人間関係の総体で一人が多様に重層して帰属。個々は〈個人〉ではなく〈世間〉での位置づけである分=〈自分〉。
こういう基本構造のために、原子力保安院が原発の安全だけを自立的に監視できなかった。環境省が瓦礫広域処理や原発再稼働に肩入れする。検察が、小沢一郎に政治的ダメージを与え続ける暴走をエスカレートする一方で、巨額損害の被害者が実際出ているAIJ虚偽報告書は立件不能だと起訴しない、なんて不条理が続出していて、かつそれが問題にならない。
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正確をきして補足すると、〈世間〉には①構成員を身内で固定して身内の利害ばかりを追求し余所者と異端を排除する〈家康志向の世間〉と、②自由に活動する個が適宜に構成員となりオープンかつフェアに多様性や少数意見を重んじる〈信長志向の世間〉がある。
今の日本の問題はすべて〈家康志向〉一辺倒化と〈信長志向〉の排除が土台にある。
バブル崩壊までの日本型経営や民活行政は、両者志向の合わせ技だった。
〈信長志向〉は、中世までの移動民・転住民=交易重視を信長が集大成。平清盛もこれ。
一方、〈家康志向〉は、江戸時代に定住民=農耕重視のムラ社会と幕藩体制で確立された。