「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(12) |
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「[か]から始まる言葉」についてのメモの続きでございます。
「[株]かぶ
①事業の許可・権利を申します。
過当競争を防ぐために、事業者数が規制される場合、株がないと新規参入ができません。
当時は[札差]から[髪結]まで、多くの商売が『株制』でございまして、幕府が業界の膨張を制御しておりました。
株を得ますとそれなりのお金と、税金の支払い義務が生じます」
戦後の国主導の「護送船団方式」と重なる。
ホンダが自動車産業に参入しようとした際、旧通産省が日本の自動車メーカーはトヨタと日産で十分だという立場から反対し、これに抗して参入したホンダが世界企業に発展したことは有名。
銀行業界が典型だが、国が行政指導して保護支援することもあれば、破綻企業を公的支援する際の債権放棄など負担を要請することもある。
「[株仲間]かぶなかま
それぞれの業種の株主で作ります業界団体でございます。
今日は独占禁止法で禁止されておりますが、当時も禁止された時期がありました。
[享保の改革]で[重商主義]となり組織化が公に認められたことで急速に発展いたしました。その結果、独占商売の特権や価格操作、格差増大などの悪影響が出たために、[天保の改革]で解散させられましたが、株制度がある限り業界で株を自主管理しますから、自ずと組織機能は残りました」
土木工事などの公共工事をめぐるゼネコンの談合と重なる。
談合は禁止されても水面下で、あるいは形をかえて実質的に同様のことが公然と続いてきている。
(参照:「都下水道談合、ゼネコン4社の逆転敗訴確定」http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120220-OYT1T00794.htm)
「[神さび]かみさび・かむさび
①古くなったものが神格化することを申します。
道具は百年使うと魂を宿すことができると考えられておりました」
アニミズム的な八百万の神の延長の感性なのだろう。
「『髪型の色々』
髪型は、同じ名称のものでも、身分や時代、地方、個人の好みによって変化いたします。(中略)
違いは見た目ではなく、結い方(男性は剃り方も)にあります。
[身分による違い]
同じ結い方でも、身分によって雰囲気に違いがございました。
武家は威厳と落ち着きをもった雰囲気に結い上げ、庶民は動きやすく、控えめだけど[粋]に結います。(中略)
女性では、武家は高くビシッと、庶民は低めに、[奉公人]は特に質素に、控えめに見えるように結いました。
[時代による変化]
江戸初期までは、女性は髪を結わず下げておりました。
平和が続き、身だしなみにも時間を割けるようになりますと、より身動きしやすいように髪を上げるようになりました。下げ髪は着物を汚しますので、上げておいた方が都合がよいものです。(中略)
[地方による変化]
江戸では華美になるたびに禁令が出されますので、『華美より[乙]』が好まれます。
最もゴージャスな[花魁]の髪型にもそれが見られまして、上方の[太夫]は金細工や珊瑚など様々な装飾がされましたが、江戸の[花魁]は派手さよりも彫りや意味に凝りました」
現代の日本の髪型で、江戸時代の[身分による違い]に重なるのは「リクルート・カット」ではなかろうか。
「就職活動の髪型あれこれ」http://lategray.chieharad.org/という記事にはこうある。
「普通の業種、特に固いと言われる金融、保険、技術系の企業では職種を問わず、あまり目立たないよう地味目にこぎれいにしておくのが内定を決めるには得策と言えます」
女性の場合、
「髪色はやはり黒髪が手堅いです。(中略)
試験間近になったら、美容院で「就活向けの髪」と指定してカット、手入れをして貰うのも賢い方法ですね。そうそう、パーマは無しか、控え目にとどめたいところ。cancamモデルのようなくるくるしたパーマは問題外ですね」
男性の場合、
「点数を稼ぐ髪型の基本ポイントは、男性だと刈り込んだ髪。イメージできなければ、銀行員の髪など良い例だと思います。つまらないといえばそうかも知れませんが、間違いなく万人受けするヘアスタイルです。一般的な企業の場合これだけで十分です。
では具体的なアドバイスをするとリクルートカットが就活の王道です。定義がはっきりしない髪型ですが、不思議なオーラを放っている就職活動向き髪型です。耳と襟足に掛からない短髪、お辞儀で額に掛からない前髪が特徴です。(中略)
髪色は黒以外はNGです。これだけ茶髪が多い中で意外に思いますが、男性の場合ヘアダイしているだけで採用リストから外されることもあります」
もし、軍服のように画一的な黒のリクルート・スーツを来た就職活動者たちがみんなそろってこんな「リクルート向けのヘアスタイル」をしている国が珍しく、日本の<世間>ならではのことであるならば、それは間違いなく江戸社会の髪型についての認知表現パターンの延長、その現代版として位置づけられよう。
「[家禄]かろく
武士が相続する[禄]を申します。
家に付けられる『基本給』のようなものでございます。
経費も含まれますので、家禄によって、だいたいできる職が決まっております。家禄に見合わない大役に抜擢されますと禄不足となりますので、[役料]が家禄にプラスされまして、昇進いたしました。
しかし、家禄を増やしてしまいますと、役に就いていなくても、永遠に高い給料を払い続けなければなりません。そのため[享保の改革]で[足高制]が導入され、家禄自体は増やさない制度に変わりました」
現代の会社や役所で基本給以外に支給されるナントカ手当のようなものか。
「[川札]かわふだ
旅人が[川越人足]に渡す札でございます。
川越の料金を支払った証でして、人足は後でこれを[札場]に持って行き、お金に換えました。
このようなことをしたのは、川越人足が旅人の足下を見て、渡し料を法外に吊り上げ、苦情が絶えなかったからです。川札制では、旅人は川越人足と交渉する必要がなくなります。しかし、川の中で客を脅して高額な[酒手]を要求したりいたしました」
「[川番所]かわばんしょ
東海道の大井川など、橋のない大きな川に設置された[関所]でございます。
川を渡る者は、ここで通行の[吟味]を受け、[川札]を購入して川を渡ります。人足には川札を渡すだけで、直接お金を払わなくていい仕組みになっております。『川会所』とも申します」
学生時代にバックパッカーとして旅したローマのことを思い出した。
ローマ駅に降り立ちホテル斡旋所に行きあるホテルを予約した。その際、そこで料金を徴収され、もらったチケットを持ってホテルに向かった。
ホテルで応対した女主人が案内したのはシャワーのない部屋だった。斡旋所で指定したのはシャワー付きだったので文句を言うと、シャワー付きの部屋はふさがっていて無い、と喚き立てた。私は、ならば約束が違うから斡旋所に戻る、と言いホテルを出ようとすると、彼女はしぶしぶある部屋のドアを開けて言った。お前はほんとうに日本人か?日本人は文句言わずに諦めるのに、と。
思うに、斡旋された客にチケットの指定よりも安い部屋で我慢させることができれば、儲け幅を増すことができる。女主人はそれを狙う常習犯で、文句を言わない日本人は楽勝のカモだったのだろう。
「[雁首]がんくび
[煙管]の頭のことを申します。
当時はたいていの人が煙草を吸っておりましたので、『まぁ、いっぷく』という挨拶が日常でございました。そのため、何人が集まっていることを『雁首を揃える』と申します」
「ガン首を揃える」の首は集まっている人の首だと誤解していた。
みんなそれぞれに吸っていた煙管の頭が集まっている状況が、人の集まりを示す状況メタファ−になっていた。
しかし、私のような誤解をする人は、今も今までも多かったのではないか。
私は、語源について知らず誤解したイメージでもそれが共有されてそれなりの意味が通じていれば慣用句というのは存続していく。だから煙管が無くなっても「ガン首を揃える」は死語にならなかったのだと思う。
特に身体語は幼い子供でもイメージをしやすいため、そういう傾向があるように思う。
「[搦手]からめて
①捕り手、捕縛者のこと。
②お城の裏門、裏側から攻める者のことでございます。
③転じて→敵の弱点や隙のある部分のことを申します」
私は「カラメ手」のカラメは絡む、だと誤解していた。
あの手この手で絡んでくる手口のことだとイメージしていた。
正しくは「弱点や隙をつく手口」のことだった。
しかし私のような誤解をしている者の方が正しい理解をしている者より多いのではないか。
そして誤用が多いとしても、正しい意味と重なるところもあり、誤用者同士でそして誤用者と正しく用いる者とで意志の疎通ができてきたのだと思う。
「[閑職]かんしょく
位と[俸禄]はあっても、やることがほとんどない役職を申します。(中略)
日常に仕事のない[寄合][小普請組]は自宅待機でして、『小普請金』を納めるのが仕事です。暇で暇でしょうがないので、趣味に興ずるか、内職や武芸の師匠といったサイドビジネスをしておりました。
人余りでしたので、望む者は意外にもあっさり武士を辞めることができました。
一方、寄合に編入された無職の[大名]は、お金があるので、毎日のように他の寄合メンバーと会合と称する宴会三昧をしておりました。
今日でも『寄合』といえば、会議というよりは、単なる飲み会だったりするのはこの伝統でしょうか」
[寄合]とは、御役に就いていない高位の[旗本]や[御家人]が所属する組。
日常の仕事はなく、『寄合金』という寄付金を負担するだけだった。
金がある[大名]は毎日のように『寄合茶屋』で宴会を楽しんでいたという。
低位の三千石以下の者は[小普請組]に編入された。
武家社会の人余りは身分の高い者から低い者までのことあり、全体として就業と俸録を減らして役職を温存して首切りをしない、という方向にあったようだ。
[寄合]や[小普請組]の様相を想像するに、世襲制のため大した競争や足の引っ張り合いをするでもなく、それぞれの位に応じた茶屋遊びなどして仲良くしていたのではないか。
現代の企業社会と比べるべくもないが、企業内労働組合と正社員が経営を責めることなく安易なリストラに黙って応じているその集団的メンタリティは、どこか江戸の武家社会のそれと重なる感じがする。
長い物には巻かれて会社に留まる以上文句は言わない。
やめて会社を去るにしても発つ鳥跡を濁さずを一番に気遣う。
*次回は「[き]から始まる言葉」のメモでございます。