エクストリーム・ユーザーと共創できる企業は「信長志向」 |
「シリーズ・ヒットの秘密(1) 決め手は"お客さんの提案"」を見て
http://www.nhk.or.jp/sakidori/backnumber/111016.html
番組は、工事現場などで職人さんが使っている業務用のマスキングテープが、プロシューマーの意見を取り入れて、女性や子供に人気のお洒落で多目的な生活用品や文具、教材に商品化され世界的なヒットとなった経緯を中心に展開した。
(カモ井加工紙株式会社 http://www.masking-tape.jp/main.php)
いわゆるプロシューマーと呼ばれる高感度な生活者が商品開発の提案を持ち込み、それを企業が採用して発展させて商品化するケースや、提案者との共創プロセスを制度化ないしシステム化するケースは以前からあった。
(無印良品 モノづくりコミュニティ http://www.muji.net/community/)
番組で博報堂の人が言ってたように、うまく行くケースは割合からすると多くはなかった。
提案者と企業が共に創造するというプロセスの有無や確かさが成功を左右する、という主旨だった。しかし実際の背景はもっと単純明快だ。
このことは提案者が生活者や消費者である場合に限らず、外部ブレインといった非正規社員の場合も同じで、その企業に会社の<内>と<外>の人的恊働をどのように捉える体質や文化があるかに掛かっている。
そして現在の共創プロセスでは、提案商品が欲しい人の投票が一定数を超えるかどうか等、うまく行くことがプロセスの中で検証され、それをパスするものだけが商品化される。当然、うまく行く割合は高まる。
集団を身内で固定して独創する「家康志向」の強い会社の場合、
◯いくら困っても身内だけで考えようとする。
業績不振や経営危機でリストラ圧力が強い会社ほど、社内スタッフは外部協力者を受け入れようとしない。彼らの保身意識が、外部人材の協力を仰ぐことが自分の評価低下やコスト高に繋がることを回避する。
◯職能として競合する外部ブレインは受け入れないにしても、外部人材が生活者や消費者や学生などであれば、その協力を仰ぐことは自分の評価低下やコスト高には繋がらない。
しかしこの場合、2つのことが協力の内容と成果を限界づける。
1つは、自分たちが考えている既定路線の枠組み、これを前提として協力者を選び、その範囲で受け入れられる意見だけを聞いてしまう。
典型的には、既存顧客をモニターとして集め、規定路線枠内の改善に繋げる。つまり、既定路線を強化し続け、規定路線における競合差別化のための細かい話に終始していく。
たとえば、カーナビで言えば、それまで地図を見せていた画像をバードビュー化するといったことが業界の動きとなると、どんなバードビューだとユーザーが歓迎するのかをモニタリングする。これはこれで大切なことだが、このモニタリングからは、「バードビューなんか要らない、バードビューはもっとざっくりした表現でいい」といった、言わば開発スタッフの努力を無にする意見は絶対に上がってこない。
おそらく開発スタッフからは、それで何が悪い、といった反応が予測される。しかし、新興国市場でその土地柄や生活文化に適応した高付加価値機能を、低コストの既存技術で工夫する際に、これまで高級高性能ばかりを追求してきた体質がやれることを限界づけている。それは、粗削りながらも現地生活者に歓迎されるシンプルな新機軸の創出を苦手とするということだけではない。そうしたアイデア創出を得意とする現地人スタッフに任せられないということも含んでいる。
特に「家康志向」の強い会社の場合、<内>による<外>差別だけでなく、<上>による<下>差別もある。国内では、正規社員による派遣や下請けの差別だが、同じことが本国本社と現地支社、日本人スタッフと現地人スタッフとの間にも漂っている。
またこんな例も上げられる。
カーナビの従来機能を前提に、アイコンがキャラクターになりアナウンスがその声優の声になるとか、パッケージにキャラクターのデザインが反映される製品がある。キャラクターの選定や展開を検討する際には、実際にそのキャラクター好きが使ってみてどう反応するのかを調査する。彼らの、もっとこうだといい、という肉声の意見は貴重だ。
細かい差別化でも既存顧客のセグメントを着実にターゲットするのであれば有効である。カーナビなど要らないと思っていた人でも、キャラクター好きのために好感して、たとえばカーナビ標準装備の軽自動車選びの際に、子供がこのキャラクターが好きだからとチョイスする一因になる、といったこともあるだろう。
しかしこの場合、「キャラクターがクルマのインテリアや付属小物にまで展開すると楽しい」といった意見が出たとしても、デバイス開発スタッフがそれに応じた動きをするかと言えばしない。
本来的にはテレビCMやショールーム・イベントと連携した「キャラクターでトータル演出したデモカー」といった発想をクルマメーカーに提案するといった動きが求められる。そこまでしないと、キャラクター好きはカーナビだけを使う訳ではないから、あまりターゲットに対して効果的ではないのである。
カーナビ画面でガイド役となるキャラクターが、同様にスマートホン上のサイトでも展開しカーナビと連携する。たとえば、エコドライブや節約の履歴やアドバイスをクルマ〜カーナビ〜スマートホンの連携で習慣的に得るといった新しいカーライフスタイルを打ち出してはじめて、生活者にとって意味あるキャラクター効果となる時代に私たちは暮らしている。生活者を侮ってはいけない。
こう述べてくるとそれと表裏一体にあることとして分かって戴けると思うが、協力の内容と成果を限界づける今一つはこういうことだ。
◯生活者や消費者と企業が共に創るというプロセスが、企業側の体制としてあくまで既定路線の枠内、既定の役割分担で既存顧客を対象にしていると、その枠を超える仮説を創出する方向には決して向かって行かない。それゆえの狭い世界や領域での効果しかそもそも求められない訳だから、それを当たり前のように繰り返している内に、組織知識創造の限界を強化し固定化してしまう。分かりやすく言えば、既定路線の枠内での「改善」こそすべてになっていく。
すると新規の顧客を創出する新規路線の打ち出しである「革新」に向かわない。技術的にはイノベーションであっても、既存顧客が新技術の新製品を買い替えるだけで、ドラッカーの言う顧客創造にも、正確な意味での市場創造にも向かわないのである。それだけを繰り返せば日本より安く作れる国々との苛烈な競争に陥るしかないレッドオーシャン市場をいつまでたっても脱することができない。
特に、既定路線や役割分担を超える仮説を専門分野を横断して現実的に発想するには、分担の柵や分野の常識に囚われない経験や実績のある外部ブレインの協力が不可欠である。
たとえば、以上の人気キャラクターを軸とした新マーケティング戦略の場合、最初からそのようなことが発想されると分かっていれば社内のマーケターを呼んできていればいいが、何がどう発想されるかは事前には分からない。またマーケターでも、社会人になってから一つの業界しか経験していない生え抜き社員では、臨機応変に現実的な分野横断的構想を展開することはまずできない。多様な業界で多様な分担を担った場数を踏んだ者の方が良いが、今はそうしたタイプの外部ブレインに会った事もなくそういう人材や実績について思いも寄らない社員ばかりとなってしまった。そして「家康志向」一辺倒の会社の場合、社員はそうした自分たちの尺度で評価できない部外者をまず肯定的には評価せず受け入れようとはしないものだ。
またカーナビ業界など、メーカーのマーケターは、出来上がったモノをどう販売促進するかということに限った職能であって、どんな新しいモノやサービスやネットワークを作ることでどんな新しい市場を創出していけるかという市場創造をする職能になっていない業界が多い。
このことは、メーカーが想定したのとは異なる使い勝手をしている「エクストリーム・ユーザー」への注目や調査、さらには彼らとの共創に向かうメーカーが少ないことにも繋がっている。
自由に活動している個人を集団に構成して独創する「信長志向」の強い会社の場合、
◯ほっておいても、自由闊達に適宜な外部ブレインの活用をし、生活者や消費者の意見を吸い上げ彼らとの共創をしてきた。
NHK番組「サキどり」では進行役と博報堂の人が、上手くいく場合は少ないと言っていたが、それは前述の「家康志向」の強い会社であって、提案者の方に問題がある訳ではない。
その象徴的な例が、読者モデルを登場させたり、彼らの中からカリスマ的なファッションリーダーが登場しているファッション雑誌である。東京かわいい系のファッションやコミック雑誌もそうだが、サブカルチャー系の業界では「信長志向」が当たり前だから、読者やプロシューマーとの共創は日常的な業務として自然体でやってきている。
たとえば、仮に私が「信長志向」が強いカーナビ・メーカーの社員ならば、たとえ開発スタッフでなく営業スタッフでも、ある切り口で新興市場を捉えたり、それを国内市場と重ねる発想をする。そして、分担の違う職能の社員と協力して異業界・異業種に共同開発を持ちかける動きをするだろう。
たとえば「観光バスのカーナビ連携ガイドシステム」だ。
私は新興国の人間ではないが、新興国たとえば中国で観光バスに乗る観光客ではある。また、新興国各国の観光客が日本で観光バスに乗っている。
で、バスガイドのアナウンスにしろ各国語の自動音声ガイドにしろ観光コースを進行するに従って同一に流れる。このメイン解説に加えて、座席のタッチパネルで乗客それぞれが、進行位置と連動した様々な物事の解説を選択して傾聴してもよい訳だ。たとえばバスの進行方向の映像が流れてタッチパネル上で興味をもったポイントを選択するとさらに選択肢が登場する、そうした解説を聞き終えたらまたメイン解説に戻る、といった具合いだ。
「カーナビ・システムは運転手が見るもの」という固定観念を棄てれば、観光バスの乗客が外の景色を眺めながら、気になるポイントの解説音声を選択的に聴く、そういう「乗客用カーナビ・システム」として捉え直すこともできる。
こうした、荒削りだが低コストのローテクの新たな連携で開発可能となる新しいライフスタイルをざっくりと発想することは、実は誰でも立場や柵から自由になって<外>との恊働を頼みにする気持ちになればいくらでもできる。
ただ、それを「家康志向」の会社は疎外し、「信長志向」の会社は促進する、そこが会社全体の成果の大きな違いに帰結していくだけなのだ。
というか、90年代までは日本企業の一般的な強みとして「家康志向」と「信長志向」の合わせ技の知識経営があって、特に民生用の製品の業務用化において以上のような顧客企業を含めた異業界・異業種との恊働が当たり前のように行われていた。当たり前だったからそうした動きや成果を、わざわざコラボレーションとかソリューションといったカタカナ英語で表現しなかったくらいだ。
それを日本型経営の短絡的な全否定をして「家康志向」一辺倒化する会社がしなくなり、たとえばニトリのような日本型経営の好悪得失を検討し直し世界標準で現代化しつつ「信長志向」を発展させたエクセレント企業がより高度なコラボレーションでより高付加価値のソリューションを打ち出すようになったのである。
はっきり言えば、前者は組織を機械論化し人材を機械部品化し、後者は組織と人材を(国内のパートや海外の外国人就労者を含めて)、知識創造とナレッジワーカーの人間論として精緻化し続けてきている。
◯ネットを媒介とした企業の共創システムの先駆けとなった、無印良品 モノづくりコミュニティhttp://www.muji.net/community/も、もともとは堤清二会長ひきいる「信長志向」の強い旧西武流通グループに生まれた新業態企業だったことが影響している。
ネットを媒介とした共創システムがあれば共創が活発化する訳ではなく、自由に活動している個人を集団に構成して独創する「信長志向」の強い会社の場合、なくても無印的な顧客ニーズの吸収発展をやれてきているのであって、ネットを媒介とした共創システムはその間口を広げたに過ぎない。
逆に言うと、集団を身内で固定して独創する「家康志向」の強い会社が、いくらネットを媒介とした共創システムを導入しても、閉鎖的かつ排他的な集団知識創造体質が変わらない限りうまく行かないのである。
番組では、レゴの売り上げ低迷とそれを打開した、ネットを媒介とした共創システムとその成果がレポートされていた。
以前は、デンマークのレゴ本社なりその意向を受けた日本支社なりが、これはレゴファンに歓迎されるぞ、と勝手に思い込んだラインアップを打ち出しことごとく失敗していた。とても日本人には好感されないキャラクターの打ち出しなど、日本人ファンのモニタリングもしなかったのではないかと推察する。送り手側の開発スタッフの思い込みが激しかったせいか、特殊レゴがコスト高になりそのことも採算性を圧迫したという。
レゴファンに歓迎される筈だという目論みが外れ、しかも従来より採算性が悪かったというのは、あきらかに身内だけではどうにかしようにもどうしようもないことの空回りだったと言えよう。
それを日本のITベンチャーと恊働して、こんなレゴの組み上げセットが欲しい、というアイデアを日本人ファンに求めて賛成票が多数となれば商品開発して売り出すというシステムにした。すると、実際に水中を潜航する「しんかい6500」などヒットが生まれるようになった。番組では、あるレゴファンが提案した「はやぶさ」の商品化が決定した経緯をレポートしていた。
カーナビをはじめとするハードな製品も、新興市場を攻める際、現地生活者の求めをいかに把握しいかに製品に反映するかが問われるが、今はまだ、レゴで言えばデンマーク本社の意向の枠内での勝手な思い込みのレベルにあるメーカーが多いのではなかろうか。
じつは、国がベトナムに売り込もうとしている新幹線のようなハードな製品も、同じような構図にある。本当に今のベトナムにそこまで高速鉄道を網羅する必要性があるのか、日本が融資してまでして不良債権化のつけが日本国民にくるのではないか、との危惧もある。私は、南部の観光交通需要の高いエリアに絞った、観光産業に対応した特殊新幹線車両と特殊新幹線駅を提案している。これなら現地経済のニーズに合致し、速度が劣っても経済効果はむしろ高く採算性もあり、日本の融資が不良債権化して日本国民につけが回ることはない。
(参照:「ベトナム南部「観光産業振興型新幹線」案(叩き台)」http://cds190.exblog.jp/13075026/)
結局、利権が絡み既得権益者が事業主体である製品やサービスを筆頭に、ナレッジワーカーが保身のためには確固たる既定路線の枠内で発想思考するしかない、そういう業界ほど、集団を身内で固定して独創する「家康志向」が強く、結果的に自由闊達な外部人材との共創を回避したり、しても大した成果を上げない、ということだ。
一方、サブカルチャー系の業界を筆頭に、利権もなく既得権益者もいずまっとうな開放的かつ公平な競争環境にあって、ナレッジワーカーは常により新しいこと、より受け手に好感され貢献する商品やサービスを発想思考するしか生きて行けない、そういう業界ほど、自由に活動している個人を集団に構成して独創する「信長志向」が強く、最初から当たり前のように自由闊達な外部人材との共創をして日々の成果を上げ、かつその市場や業務内容を時代の変化に即応して変容させたり高度化してきている、ということだ。
(ちなみに、『上場企業の3割しか税金を払っていない。メガバンクは一円も税金を払っていない。』ということが言われている。
ひょっとすると、利権や既得権益にしがみついている業界大手ほど、つまりは「家康志向」が強い企業ほど税金不払いの会社が多く、利権や既得権益と縁のない「信長志向」が強い企業ほど利益を出して律儀に税金を払っているのかも知れない。
もし、そうだとすると、民間の企業社会においてここ20年で進行してしまった「家康志向」一辺倒化は、企業やビジネスパーソンの体質だけでなく日本社会全体、日本人全体の自立的創造性や内向き依存性の問題として大きな意味を持っていると言えよう。)
番組で紹介された、消費者や生活者との共創による成果の多くは生活雑貨だった。
・マステ
冒頭紹介したお洒落で可愛いカラーやプリントのマスキングテープ。
・バックルのないベルト
母親が子供のトイレをすばやく簡単にさせられるもの。
・下にも蓋のついた調味料入れ。
下にこびりついた調味料も綺麗にとれたり、大きな口から調味料を入れられるというもの。
・手のひらサイズの洗濯板。
旅行での洗濯や、靴下など細かい部分の洗濯に便利なもの。
・豆腐を手のひら上で切るときに手のひらに乗せて豆腐を固定する道具。
・前から見ると普通の革靴だがじつはサンダル
オフィスで蒸れずにすみ、かつオフィシャルな見えがかりも保てるというもの。
・透ける付箋紙
カキコミを本などに残さずにすむというもの。
生活雑貨において、生活雑貨を利用する生活者のアイデアが優れていてそれが商品化するのは分かりやすい。
しかし、これが海外に輸出している新幹線やカーナビとなると、どこか話が硬くなり、専門家でないと現実的なアイデアは出せないと思われがちだ。
本当はどうなのだろうか。
そう自分も思い世間にも思わせておいた方が得をする人たちが中枢にいてやっているだけなのかも知れない。
番組で博報堂の人が「エクストリーム・ユーザー」という概念を紹介していた。
送り手側が想定したノーマルな使い勝手にはない、アブノーマルな使い勝手をしてしまうユーザーのことだ。
たとえば、私が、ゴルフの打ち放しの練習を海辺でする、その際、ゴルフボールをリールの釣り竿の糸の先に付けておいて、海に向けて打ち放す度にリールを巻いて回収するとしたら、私は釣り竿使いにおいて「エクストリーム・ユーザー」になる。
発想においても、「エクストリーム・ユーザー型の発想」がある。
学術的に定義すると以下の図の「応用」がそうだ。
従来の手段を新規の目的で使う、あるいは使えるように工夫するということ。
たとえば、郵送されてきた封筒を棄てる際に住所氏名をきざむ個人情報保護のための文具「シュレッダーはさみ」が、刻み海苔を作る料理はさみだったことは有名だ。
売り上げが伸びず、関係者が海苔ではなく住所氏名をきざんではどうか、と発想しこれが当たった。
集団を身内で固定して独創する「家康志向」の強い会社と、自由に活動している個人を集団に構成した独創する「信長志向」の強い会社の大きな違いは、「柔軟な発想を大切にするか、しないか」だ。
ここぞという所で大胆かつ奇抜な「柔軟な発想」ができるのが、後者である。
そして「信長志向」の強い会社には、「エクストリーム・ユーザー型の発想」ないしは「エクストリーム・ユーザーへの着目や調査、彼らとの共創」を実践している。
「家康志向」の閉鎖性や排他性は、会社の<内>がその<外>に対してある前に、ある事業部門の<内>がその<外>に対して、ある職場や職能の<内>がその<外>に対してある。そして様々の〈内〉に守るべき想定や決め事があって、言わばそれを蔑ろにする「エクストリーム・ユーザーの発想」を受け付けない。
一方、後者にはそういう偏狭がない。組織や役割や分担の<内>がその<外>に対して開放的で恊働的な会社ほど、自由な立場での自由なアイデア提案が許されていたりむしろ積極的に義務づけられている。そういう会社では、とりたててネットを媒介とした企業の共創システムを用意しなくても、個々の社員だけでなくパートなどの就労者もアイデアの受信者となり発信者となっている。「エクストリーム・ユーザーの発想」に触れれば、あっ、そういう発想もあるのかと着目してアイデアとして、あるいはヒントや可能性として受け入れる。
スーパーのパートやコンビニのアルバイトが実践的な戦力として発注を担ってなっていることなども、「信長志向」的であり同じ文脈にある。
この商品をこんな食べ方なり使い方をするのか、と驚かせる若年層や主婦層がいる。そんなエクストリーム・ユーザーに触れて何をどれだけ仕入れるか、何をどう店頭に並べるかについて新しい発想をすることもある。
最後に、番組をやっていたNHKだが、深夜遅くまで民放みたいな軽佻浮薄な番組をやっていないで、社会全体に深夜節電を促してもらいたい、と個人的には言いたい。
蓄電池が電気自動車を含めて普及してくれば深夜に家庭で蓄電した電力を昼の需要ピーク時に使うこともできるのだから。
この視聴者としての私の意見、NHKに聞く耳はあるだろうか。