今問われる日本人の「甘えと義理」(6:結論) |
「今問われる日本人の『甘えと義理』(1)」
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「今問われる日本人の『甘えと義理』(2:間章)」
http://cds190.exblog.jp/15427164/
「今問われる日本人の『甘えと義理』(3:その1)」
http://cds190.exblog.jp/15443697/
「今問われる日本人の『甘えと義理』(3:その2)」
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「今問われる日本人の『甘えと義理』(4)」
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「今問われる日本人の「甘えと義理」(5:間章)」
http://cds190.exblog.jp/15542138/
からのつづき。
本音と建前を分つ「対他的義理」、本音=建前の「自他同一的義理」
本論シリーズの初項(1)の冒頭で、
著者が指摘する「義理とは何か」の結論として、「相手の意向をそのまま自分の意向として受け入れること」と述べた。
それは、「義理は相手本位なものであって、常に相手に自分を接続するというか、合致させる」もので、それはどのようにして可能かというと、
「自分を相手に合致させてひとつになる」
「相手と同じものになる」
ことによると解説した。
これが「即他的義理」であった。
これに対して、本項(6:結論)で検討する「対他的義理」はその対極にある。
本論シリーズでこれを最後に検討するのは、日本人の全体が共有しているのは、つまりは義理堅い人も義理堅くない人も共有しているのがこの「対他的義理」の方だからである。
そのことを最も象徴しているのは、先の大戦の終戦前夜の状況である。
若い世代のためにあえて常識を述べるが、当時は軍国主義で天皇主義だった。人々は何かにつけて、天皇陛下万歳と三唱した。
ならば、日本国民は天皇に対して「即他的義理」を抱いたり、抱くことが求められたのだろうか。天皇は敗戦に際して生きようとなされたのであり、国民に一億玉砕を求めることもなかった。むしろ軍部によって無条件降伏が阻まれて一億玉砕に向かうことを終戦の詔勅によって回避された。
一方、軍国主義下の天皇主義のイデオロギーは、天皇陛下のために、天皇をいただく国体のために死をも厭わず、というものである。これは、天皇や国体に対する「即他的義理」を国民に求めるものである。しかし天皇ご自身がそれを望んでなどなかったのだから、現実に日本社会において国民同士の間で働いたのは、そのように本心から思い振る舞わないと非国民とされる、それは恥だからそう思いそう振る舞おうという「対他的義理」だった。
無論、本気で天皇や国体に対する「即他的義理」を抱き敗戦後、戦前の天皇主権の国体の解消に殉じて自決した軍幹部も数パーセントいた。しかし、軍事官僚の大方はそうはしなかった。つまり、彼らも「対他的義理」で言動していたのである。
それは太平洋戦争の開戦の時からだった。戦後、当時を回顧した軍幹部たちはみな、自分は反対だったが自分独り反対してもどうなる雰囲気ではなかった、などと弁解している。これは周囲に対する「対他的義理」だったと吐露しているに他ならない。
一般庶民の国民がどうして、自分たちを誘導したり強制したりした軍事官僚以上に天皇に対する「即他的義理」を抱くことがあろうか。彼ら以上に非国民と言われまいと周囲に対する「対他的義理」で言動していたのである。
これはけっして瑣末な話ではなく、日本人にとって本質的な話である。なぜなら、誰の責任で誰が戦争を始めたかは今も誰も分からないままで、分かっているのは陸軍のトップも海軍のトップも自ら敗戦を言い出せなくて誰も戦争を終わらせられないところを、天皇陛下が玉音放送による終戦の詔勅を発するという超法規的手段で終わらせることができたという紛れもない事実だけだからだ。
国家の存亡や国民の玉砕するかしないかに関わる事態以上に、その民族の本質を物語ることがあるだろうか。
そして、
為政者が一般庶民に、あるいは帰属集団の強者が一般弱者に、何かに対する「即他的義理」を抱くことを誘導したり強制し、実際は自分たちも対象の一般人も非国民や帰属集団の一員ではないと言われたくないために「対他的義理」を抱いてそれを全うしようとする。
そういうことは今の日本社会でも、多方面のいろんな局面で繰り返されている。
このことは、私が指摘するまでもなく、誰もが多かれ少なかれ認めている日本人の<世間>の現実であり、現実が理想に向かうことを阻んでいる壁ではなかろうか。
ならば、日本人はまた政官財報道の翼賛体制で同じように国民に多大な犠牲を強いるような過ちをしないとも限らないし、それを一般庶民はまた看過して誘導され強制される同じ轍を踏まないとは限らない。
「対他的義理というのは、(中略)自分を他者の手前にあるものとして意識し、他者の期待に自分を添わせ、他者の批判をまぬがれて、自己の面目を保とうとする義理です。
対他的義理は、タテマエとしての義理といっても同じことですが、タテマエとホンネの二重性を生きることはできません。(中略)
ですからタテマエとしての義理を生きる者は、ホンネを捨てて、タテマエそのものを生きなくてはなりません」
分かりやすい解説を試みると、「武士は食わねど高楊枝」である。
同じ武士の様子を見ても2通りの分析結果がある。
著者は言う。
「義理の見栄と私心の見栄は違う」
と。
たとえば、もし腹を減らした侍が町人や百姓に馬鹿にされたくないだけで「武士は食わねど高楊枝」ならば、それは「私心の見栄」に過ぎない。
しかし、誰も見ていない所で、自分独りの時も、侍かくあるべしの自戒によって「武士は食わねど高楊枝」ならば、それは「義理の見栄」と言える。
「義理の見栄はそうした私心の見栄を恥ずかしく思います」
私たちの卑近な例を上げれば、場末の飲み屋で口角泡を飛ばして天下国家を論じているサラリーマンが、会社の同僚や近所の顔見知りとは時事の話題をいっさい(SNS上でも)避ける、実際そういう人が多いことが上がる。
職場で浮けばリストラの対象にされかねないし、ご近所で浮けば何かと厄介なことになる、という気持ちは誰しもある。また、時事の話をする人の中には、時事に関して特定の思想信条や帰属組織を代表するかのような議論を好み自分と同じ意見でないと感情的に攻撃的になる人もいないではない、そういう厄介もある。
天下国家に抱く批判や理想が本心であるとしても、そうした厄介ゆえに時事の話題で対話することを回避する人にとって、場末の飲み屋ならばする天下国家論は「私心の見栄」なのか、「義理の見栄」なのか。
この場合、仕事や生活の場という市民の人間関係の足元から、時事の話題を一市民同士が日常的に対話することからしかまともな市民社会が形成されようがないのだから、それを回避しての飲み屋の天下国家論は批判の言い放ちに過ぎず、多少は草の根的な理想に向かう営みだとしても飲み屋通いのついでにしかしない程度の日常性なのだから「私心の見栄」と言えるのではないか。
別段、時事対話などしなくても、選挙に行って政治的に社会参加している、という人が実際多い。しかし、それは日本の現状に照らせば詭弁でしかない。インターネットが盛んになるとテレビ新聞が伝えていることがすべてではないことや、むしろ事実を歪曲していることは、飲み屋で天下国家を論じるほどの人ならば周知の事実だろう。報道が偏向したり隠蔽している以上、市民同士が情報をバトンしてできればそれについて顔見知り同士が対話し職場や地域で連帯していかなくて、どうやってて世の中を良くして行くことができるようか。
自分自身にふりかかる厄介やリスクを負っても時事の話題を持ち出す人は、周囲の大方からは煙たがられてしまうのだろう。しかしそうと分かっていてもそうするのが「義理の見栄」と言える。
おそらく「義理の見栄」は、自分独りの時でも「武士は喰わねど高楊枝」に徹するサムライのように、いつの時代も孤高で飢餓感がありしかも人から嘲られる、そういうものなのかも知れない。
著者は、西鶴の「奉公に私なき事、自然に天理にかない」という言葉を上げて、
「義理でもっとも大切なのは、この『”私”がない』ということです」
と述べる。
また、西鶴の「心に染まざれども」という言葉を上げて、
「『心に染むこと』をするのは私心であって義理ではなく、『心に染まない』ことであっても、相手の意向を忠実に実践するのが義理なのです」
と述べている。
ここで著者の例解する話が示唆的だ。
ある殿様が勇猛な家来と臆病者の家来の二人にお化け屋敷に行かせる。勇猛の家来がお化けを退治し、臆病者の家来はお化けを見て失神してしまった。これに対して、殿様は臆病者の方に勇猛な家来より多くの褒美を与えた、という。
その理由は、勇猛な家来は「心に染むこと」をしたのに対して、臆病者の家来は「心に染まないこと」をしたから、後者の方が忠義である、ということなのだ。
現代の成果主義とは真逆の結果となっていることが示唆的だと思う。
確かに、お化け退治という目前の短期実績では臆病者の家来は成果をまったく上げられなかったが、その忠義はいずれ何かの大事で我が身を捨てて大きな成果を上げる可能性がある。
無論、これは、上司の言うことなら事の善し悪しにかかわらず唯々諾々と「心に染まないこと」をやり続ける者の話ではないのは、論ずるまでもない。
ここで指摘したいのは、この例解は、集団を身内で固定する「家康志向」のパラダイムにある、ということである。
自由に活動している個人を集団に構成する「信長志向」においては、中長期的な視点で人材の資質を見て育てるということは同じとしても、「心に染まないこと」をしたから評価するという場面も基準も考えにくい。
私は、本音と建前が必ず食い違う、と著者のように決めつけられるのは、「家康志向」の<世間>を前提とするからだと思う。臆病者の方が評価された、本音を抑えて建前を通した事態も「家康志向」の<世間>を前提としている。
これに対して「信長志向」の<世間>では、先ず本音で自由に活動している個々があって、その本音を見込んで適宜に集団に構成するのだから、そもそも本音と建前の乖離がない。あとあと乖離が生じたとしても、構成員は出入り自由だから、本音とズレが生じる集団にずっと帰属し続けなければならない訳ではない。
本音=建前、「対他的義理」も「即他的義理」同様に「心に染むこと」であり、
主体がまったくの自然体であれば=「即自然的義理」でもあり、
時に結果的に=「即天意的義理」をまっとうすることにもなる。
ここでは、対人関係において「心に染まないこと」でも、大義において「心に染むこと」として受けとめることができる、ということがある。しかし、それは集団の中の誰かが誰かに我慢させたりさせられたりという人間関係ではない。集団として対外的に「心に染まないこと」でも、大義において「心に染むこと」として仲間で受けとめ励まし合うということである。苦楽をともにし、苦をも楽しむということである。
著者は、義理とは、単純に約束してそれを守ることではない、と指摘している。
この指摘はとても重要な意味を含んでいると思う。
「約束を守る話なら、日本だけでなく世界中どこの国にもあるものですし、それに約束を守るというのは、法や契約の世界の話であって、義理の世界の話ではない」
こういう言い方もできる。
文化人類学的な意味合いでいう「交換」の約束を守るのは義理でもなんでもない、単なる契約義務の履行である。「贈与」の約束を守るのが義理である、
と。
そのメカニズムを著者はこう説明する。
「話し合って取り決め、違約したら罰せられるのが法や契約の世界の約束です。しかし、義理の世界の約束はそうではありません。
『死んでくれぬか』、『あぁ死にましょ』。これだけのことです。このように、相手の意向が自分の心のなかに侵入してきて、自分の意向と化してしまうことが義理の世界の約束です。
この約束は(筆者注:自分自身に対して)強迫的なものなので、(中略)私心が入り込む余地はないのです」
ちなみに「贈与」は、
する者に対してされる者が「負い目」を感じる、
よって「贈与」された者は、「贈与」する者に報いる何かをすることで「負い目」を払拭しようとする、
それが両者の関係を決定する。
「贈与」された者は返報しなければ、「贈与」した者と同じになれない「負い目」を抱き続けるしかない。
これが、著者の言う「強迫的なもの」ということだ。
ここにも「即他的義理」か「対他的義理」かという微妙な問題がある。
たとえば、戦争で部下に決死の特攻を命じた上官が自らも先陣を切ったケースでは、上官は部下と同じものになることで、「負い目」感情を相殺しているとも言え、この「強迫的なもの」が介在する「贈与」のやりとりが上官と部下の間であった。
一方、部下に決死の特攻を命じながら自分は指揮をとらねばならぬと転戦し、それが上官としての勤めであり、自分も逆の立場で部下であったら命じられたことを実行したに過ぎない、といった主張をする上官にとっての部下との間には、「交換」のやりとりがあった、ということになる。そこには「負い目」感情が介在していないからだ。
これがアメリカ軍の上官と部下の話であれば、後者の低コンテクストな「交換」のやりとりだけの話で済む。ところが日本軍の場合、天皇と臣民の関係からして「贈与」のやりとりであり、何かにつけて天皇陛下の名前を出して自分の言い分を正当化した上官と部下の関係も「贈与」のやりとりという体裁をとってきた。それがどこまでも本気の上官が前者であり、後者の上官には建前がダブルスタンダードで、後から自己正当化に用いているのは「交換」のやりとり論だということになる。
義理の根源的な原理を「贈与」関係に求めると、その起源は日本の江戸時代や中国の古代を超えて、人類普遍の<部族人的な心性>にまで遡らなくてはならない。
当然、幕藩の主従関係や三国志のヒーローたちの志縁のような<社会人的な心性>より、もっともっと素朴な起点を求めなくてはならない。
たとえば、部族の長同士が自分の財貨を相手の目の前で消尽するのを競った「ポトラッチ」や、「異界との重なり領域」にたとえばある部族が海の幸を置いておくと、他の部族が山の幸を置いておいてくれる「沈黙貿易」などだ。
こうした原初的な交易では、モノが交換されているだけではなくて、消尽や贈与によって生じる「負い目」のような心理的ストロークが交換されている。
(文化人類学では、戦争も交易の一形態とされる。
人間誰しもがしようと思えばできる最高の消尽や贈与は何かと言えば、それは古今東西、自分の命である。そして戦争というものは最初から一貫して、人々の命の消尽や贈与によって営まれてきた。)
(原初的な「贈与」関係は、人と人、部族と部族だけではない、そもそもの大本ないしは土台として人間と自然=神との関係がある。人間が自然=神に対して「負い目」のような心理を抱いていることがある。
神に供物を奉じて豊饒を祈り災厄を防ごうとうする。自分の部族だけでなく他の部族もそれぞれの縄張りの神に対して同じことをしていて、「異界との重なり領域」とは、単なる縄張りの緩衝地帯ではなく「神たちの領域」=「祝祭の場」であった。
そして文化人類学的には、戦場も「異界との重なり領域」であり、ある種の「祝祭の場」としての側面を持ってきている。)
日本人は、義理においても、人類普遍の<部族人的な心性>をベースとして温存する形で<社会人的な心性>を形成してきたと言える。
このことは、日本語において「感謝の言葉」が「謝罪の言葉」であることが端的に象徴していて、ベースにある<部族人的な心性>が現代の私たちにまで延長されていることが分かる。
具体的には「すみません」という言葉だ。それが「贈与」関係の「負い目」感情を前提にして「ありがとうございます」をも意味するということである。
文化人類学でいう「両義性」ということに重なってくる。
「『すまない』という言葉は、義理を損ねたことをわびるときに用いるものですが、また礼を述べるときにも使えます。
このように、『すまない』という言葉にあい反するふたつの意味があるということは、この言葉が受容世界と非受容世界の中間の世界において発言されているということです。
そしてその中間世界は、義理の世界であって、あまえの世界ではないので、---あまえの世界は受容世界ですからね---『すまない』という気持ちは、あまえではなく、義理に関係しているということになります」
人類普遍の原初の「贈与」関係では、弱者が「負い目」を負っているようで与えてもいて、強者が「負い目」を与えているようでいて負ってもいる。つまりは、部族同士の強弱関係を支配被支配をめぐる攻防に展開させずに平和裏に調和させるものでもあった。
「ポトラッチ」や「沈黙貿易」などの部族同士の<部族人的な心性>の贈与のやりとりは、やがて国同士の<社会人的な心性>の贈与のやりとりに変容していった。たとえば、古代中国以来の「册封」や「朝貢交易」だ。宗主国に貢ぎ物(方物:土地の産物)を献上することでその支配下にある属国となると、宗主国は属国を守る義務を負うことになる。支配下に下る「負い目」と、属国を守る「義務」が交換されているが、それは属国を守らなかった際の「負い目」相当の心理的負担と考えていい。
こうした心理関係のダイナミズムは、義理を生きている人間同士の間でそのままに息づいている。
「義理を生きている人間が、どんなときに『すまない』という気持ちになるのかといいますと、それは、相手の人が自分を受容してくれたとき、---このときは感謝の気持ちで『すまない』と思います---あるいは、自分が相手に対して相手本位にできなかったとき、つまり自分が私心をだして相手に迷惑をかけたり、相手の意向に添えなかったときに、---このときはおわびの気持ちで、『すまない』と思うのです」
「なにか失敗してあやまるときに、『すみません』といってあやまるのと、『許して下さい』といってあやまるのでは、その内容に違いがあります。(中略)
『すまない』といってあやまる人は、相手本位にものごとを考えており、またその相手が万全であるように配慮していて、その万全であるべき相手が自分のせいで損なわれた場合に、『すまない』気持ちになるというわけです」
ちなみに、戦後の日本人は占領したアメリカに「受容された」と感じ、ソ連や中国から「守ってもらった」と感じ、義理を抱くようになった。
同時に、アメリカという他者を経由して自己を認識するようになった。
そして、アメリカという相手に対して相手本位にできなかったときに「すまない」と思い、そう思わなくてすむようにアメリカの意向を忖度して自らの意向を形成するようになった。
但し、アメリカは、日本とは違い「他者を経由する自己」の持ち主ではない。ただ自己本位にその意向を世界の各国に打ち出してきたに過ぎない。
ちなみに冷戦終結した1991年当時に比べて、(2011年現在)欧州の1400以上あった米軍施設は現在では約500、今後も削減の予定。22万人いた在ドイツ駐留米軍は現在では7万人以下である。
一方、日本は、冷戦終結以降、ソ連が崩壊しロシアも中国も資本主義化し中国との貿易高が最大化していく過程で、むしろアメリカとの軍事同盟を強化してきた。欧州やドイツのような米軍基地の大胆な削減はなかった。東日本大震災や原発危機の今年ですら従来通りの思いやり予算を早々と支払っている。
軍事専門家たちの間では、日本が核攻撃されてもアメリカが報復することはなく核抑止力が働いているとは言えないことや、尖閣諸島を中国が実効支配してもそれだけでは米軍は出動しないことも分かっている。
つまり、いったい何のための日米同盟とその莫大な投入コストなのか、を合理的に説明することは難しい。
むしろ、日本的な義理において「贈与」のやりとりや、「負い目」感情のような心理のやりとりをアメリカとしているという思い込みと、思い込みに基づいた「すまない」という意識として説明できる。
「そもそも私たち日本人は自分の国をどういう国にしたいのか?」という問い
日本人は重大な、そして本質的な問いの存在に気づくべきだと思う。
それは、
「そもそも私たち日本人は自分の国をどういう国にしたいのか?」
という問いだ。
日本人の意向は、常にアメリカの意向を官僚や政治家が先回りして忖度するものだったり、反体制派が同様に先回りして対抗するものだったりと、どちらにしても他律的であり、けっして自律的だったとは言えない。
戦後すぐに始まった東西冷戦の影響で、資本主義の市場経済の国か、社会主義の計画経済の国かというイデオロギー対立はあった。しかしそれは、経済体制を問うだけの国家論だった。今となっては、そうした二者択一は合理的ではなく、世界各国、自由な競争を促す規制緩和と、共生や環境を守る規制保護との政策バランスをとる現実主義が当たり前になっている。
今むしろ問題は、民主主義を守り独裁体制を許さない立憲主義や情報公開を徹底するのか、それともそれらを国家ないし政権あるいは官僚体制が制限することを許すのかであり、それが政官財報道の翼賛体制とそれに対抗する市民たちとの実質的な争点になっている。
なぜ今ごろそんなことが問題になっているのか。
戦後、じつは一貫して情報隠蔽や偏向報道が水面下で行われてきた。それが東日本大震災の福島第一原発の爆発事故を経て表面化してきた。その筆頭が、原発の安全神話だった。そして国民の大方が望む脱原発がまったく進まず逆に原発再稼働が進んで、露骨に社会の表舞台に浮上してきたからである。
日本は体裁としては国民主権と立憲主義の国なのだから、国民の大方が望むことがそのまま国のヴィジョンや理想になる筈なのだが、まったくそうは行かない。そんなものが語られたところで「絵に描いた餅」に終わる状況が現実として露呈してきたのである。
私たちが戦後一貫してこの問いを自問しないできたことに、
そしてその回答から全てを立ち上げようとはしないできたこと自体に、
日本人の”私”の無い義理の実相がある。
それは、瑣末な私心のない義理の美徳、ということでは決してない。
そうではなくて本来、人として持つべき希望や理想と、それに向かう確固たる意志をもたずに、すべてお上まかせである義理、あるいは義理を騙った「長いものには巻かれろ」の事勿れ主義ということである。
これは、すべてはお上がうまくやってくれる、下々はお上に丸投げしておけばいい、丸投げする以上は黙ってお上に従うべきだ、と自らの思考停止を正当化するご都合主義の義理でもある。
選挙に行かない人が多く投票率が低い実態は、実質的にそういうことに帰結する。
私心には、瑣末なエゴもあるが、自分と家族の命や健康を守りたいという人として持って当然の本能もある。
そして、私心があっても捨てて私心が無いのと、私心をもつのが面倒で持たないのとは違う。
さらに、テーマによってどのような私心を持つのか持たないのかということもあり、その個人差も当然ある。
だから話がとても微妙になる。
瑣末な私心のない義理の美徳、と、「長いものには巻かれろ」のご都合主義の義理、とが見えがかり的にはそっくりだったり、後者を前者のように自他に騙ることができたりもする。
「どうして自分の意向が他者の意向となってはね返ってくるのかといいますと、
義理は、---<汝>→<汝の汝>という構造をもっていることからわかるように---他者から自分に向かってくる外発的なものです。
そして”私”の意向のような、自分から他者へ向かう内発的なものは抑圧しています。
抑圧するのは、”私”の意向が義理にとっては不義なものだからです」
著者の言う通りなのだが、私はすでに触れたように、
そのような「”私”を抑圧した外発的な義理」は、「家康志向」の<世間>での現象ないし動向なのだと思う。
この「家康志向」は、身内で集団を固定するから、外向きに世界を見るときも、親分であるアメリカだけを見てきたし、今もアメリカが統括しようとしている世界観でしか見ようとしない。つまりは外向きでも何でもなく、大きく内向きなのだ。
一方、「信長志向」の<世間>では、「”私”を解放した内発的な義理」の現象ないし動向が展開してきた。
平清盛*や織田信長といった為政者や、龍馬や勝とその仲間たちといった活動家は、「そもそもどういう国にしたいのか?」という問いから出発してその答えを求め続けた。彼らの言動がその典型である。
また、江戸の武家社会に対抗した町人文化の担い手たちも江戸町人の理想像を歌舞伎や浮世絵や落語などそれぞれの分野で表現した。
その文化的遺伝子を受け継ぐ現代のサブカルチャーの担い手たちも現代日本人の理想像をアニメやファッションなどそれぞれの分野でも表現している。
ともに「信長志向」の集団独創を発揮しその成果が世界に認められている。
ここでは、彼らのダイナミズムとなった日本人の義理を、本音と建前を分つ「対他的義理」と峻別するべく、本音=建前の「自他同一的義理」と呼んでおこう。
(平清盛*の交易主義の「信長志向」については、
現代ビジネス「この国のカタチを変える清盛式"貿易革命"、夢半ばにして散る・・・平家滅亡が『貿易立国日本』を800年遅らせた?」山田直哉著http://gendai.ismedia.jp/articles/-/19758
を参照。)
「そもそも私たち日本人は自分の国をどういう国にしたいのか?」
という問いの答えを戦前の日本国民はもっていた。
しかしそれは、大日本帝国というお上が国民に与えたものであり、国民自らが民主的に形成したものではなかった。
それは、市民革命において欧米の市民が国民として自ら意識し行動して勝ち取った基本理念やヴィジョンの類いではなかった。
お上から国民が与えられた日本人の目指すべき有り方を、一般庶民は教育勅語によって把握した。
その主旨は、日本が「神の国」であるという前提を踏まえて、国民が「神を敬うこと(敬神)」が「国体(天皇をいただく体制)」を成立させるべく求められる、というものであった。
大日本帝国憲法が天皇主権を定めていてそれに従う以上、それは当然のことだが、当然のことを繰り返すトートロジー(ある事柄を述べるのに、同義語または類語または同語を反復させる修辞技法のこと)でしかなく、トートロジーを受け入れよ、という主旨であった。
こうしたトートロジーは、古事記や日本書紀にも見られる。
記紀の神話は、皇統の正統性を神代に遡って示すものである。その内容は、たとえば天照大神の勢力が大国主命の勢力を圧倒したことを記していて、それゆえに正統であるということになっている。
ざっくり言ってしまえば、勝てば官軍、ということなのだが、私は中国の天意の考えが反映しているように感じる。それにおいては、勝ったのは天意による、と解釈されるのと同じ構造だからである。
天照大神がどういう国造りを目指していたか、というヴィジョンや理想は語られていない。国造りをしたのは大国主命で、天照大神は国譲りをさせたのであった。
(ちなみに、では大国主命ががどういう国造りを目指していたか、といういうと、ヴィジョンや理想は直接的には語られていない。しかし間接的に大国主命の国造りに至るまでの物語で暗黙知や身体知として暗示されている、と私は考えている。)
主体性のない所に、主体性の放棄はありえない。
つまり、主体性を持たないテーマについて、主体性の放棄はありえない。
ある主体性が、
ほんとうに自律的に自発的に持つに至ったものなのか、
それとも、
不自然につまりは他律的に操作的に持たされたものなのか、
は決定的なポイントであり、
そこから峻別しなければならないテーマというものがある。
その最たるものは、愛、である。
本来、愛は「主体性がほんとうに自律的に自発的に持つに至ったもの」である。
愛国心も、それが愛であるならそうである筈だ。
しかし時に、
愛国心は為政者が国民に持つべきものとして持たせるものとなり、
国民が軍人トップから一般庶民まで周囲から非国民と言われたくないために抱く対他的義理の筆頭となる。
「即他的義理の場合でいいますと、(中略)この義理は、他者の意向を自分の意向としてそっくりそのまま受け入れることなので、他者と自分はひとつということになります。
そしてこれを図式化すると、<汝>→<汝’>ということになりますが、これをみると、即他的義理に生きている人間は、---自分ではなく---<汝’>だということがわかります。
つまりこの人間は、<汝’>になることによって、自分を他者につないで、自他同一的に他者とひとつになっているのです。
しかし、他者とひとつになっていることがいいことだとは限りません。悪いほうに作用してしまうことだってあるんです。
それはどういうことかといいますと、<汝’>というのは、もうひとりの<汝>ということで、それは<汝’>が<汝>と連動して動く傀儡でしかないということを意味しています。
そういう性格が義理にはあるので、<汝>の意向を仰がなければなんにもできないような、義理病患者が生まれてきてしまうのです」
戦後日本が、アメリカという<汝>の意向を仰がなければなんにもできないような、義理病患者になって今に至っていることはすでに触れた通りだ。
集団を身内で固める「家康志向」
自由に活動する個々を適宜に集団に構成する「信長志向」
との絡みで言えば、
日本が親分視するアメリカとの同盟を偏重し、子分視するASEAN各国への援助を重視してきたのは、「家康志向」と言える。
しかし、アメリカの外交政策は、国益のためには国内的な主義をかなぐり捨ててでも連携し、あるいはかつて連携した国と敵対もする。中東外交がその典型で、独裁体制の国と連携し、アメリカに敵対する国に敵対させる国と連携したかと思うとその国にアメリカが敵対すれば敵対する、そんなことを結局は石油利権のために繰り返してきた。その良し悪しはともかくも、それは言わばアメリカがケース・バイ・ケースの「信長志向」を展開してきたということである。
「家康志向」の<世間>を前提とする対他的義理は、今日も日本の社会全体を一貫するダイナミズムとして力強く働いている。
戦後日本をアメリカという<汝>の意向を仰がなければなんにもできない義理病患者にしている、というのは全体をざっくり表現しているだけで、ダイナミズムの働き方は一事が万事、微に入り細に入りだ。
たとえば、
お上=官僚社会がアメリカという<汝>の意向を仰がなければなんにもできない義理病患者であれば、
大方の業界大手も指導される管轄官庁という<汝>の意向を仰がなければなんにもできない義理病患者であり、そ
して大方の社員も雇用管理される会社という<汝>の意向を仰がなければなんにもできない義理病患者となる、
といった連鎖がある。
たとえば、
基本的には日米原子力協定という大枠において「アメリカの原子力政策→日本の原子力ムラ(政官財学マスコミのスクラム体制)」の親分子分関係がある。日本での連鎖の実質的な要が独占大企業の電力会社と経産省や原子力規制庁なのではあるが、では誰が全体の責任者として統率しているかというと明快ではない。よって、福島第一原発の爆発事故のように全体で進めたことが破綻しても誰も責任をとらない。要は、そのムラ界隈の実力者の全員が義理病患者になっている、ということである。
放射能汚染や汚染被害の拡散防止のために協力すべき文科省や環境庁、厚労省や農水省など他の省庁もこれに準ずる。
原発事故からすでに2年半がたとうとしているが、国民がいろいろな事で感じ続けているもどかしさの大本はここにある。
そしてそのもどかしさは、私たちの子々孫々の生活や人生を大きく方向づけるような重大な時事問題のすべてに一貫している。
受容世界と非受容世界を「空間軸で捉える義理」と「時間軸で捉える義理」
「こんどは対他的義理の話をします。
この対他的義理は、タテマエとしての義理といってもよいのですが、義理は異なるふたつのものがひとつになっていなくてはならないものなので、タテマエとホンネのふたつに分かれていてはいけません。
しかし、いけないといいましても、タテマエとホンネを融和させるという仕方でひとつにすることはできないので、対他的義理の場合には、タテマエそのものに自分を同一化させることによって、ひとつになるのです」
すでに述べたことの繰り返しになるが、著者の主張のように本音と建前は必ず食い違う、食い違って当たり前とするのは、集団を身内で固定する「家康志向」の<世間>を前提にしているからである。集団の構成員が身内として留まるめには、たがうことができないのが建前であり、そのために本音を抑えなければならないからだ。
一方、自由に活動している個人を集団に構成する「信長志向」の<世間>では、個人の本音を見込んで適宜に集団が構成される。そして構成員は集団を出入り自由だから、基本的に建前=本音なのである。
著者は、「意地」と「体面」についてこう述べる。
「自分が同一化しているタテマエにたがったものには決してなるまいとする努力が意地なのです」
「信長志向」の<世間>の場合、「建前に違うものにはなるまい」という気持ちはイコール「本音に違うものにはなるまい」ということになる。
意地は自分自身に対してもつもの、という点は「家康志向」の<世間>の場合と同じだ。
「意地と体面はどこが違うのか(中略)、これは、
タテマエを他者のほうからみるか、
それとも自分のほうからみるか
によって、違ってくるのです。
タテマエというのは、他者と自分のあいだに置かれているわけですが、
このタテマエを他者のほうからみた場合には、---この場合、タテマエは他者の手前をつくろうものという意味です---体面が問題になります。
そしてタテマエを自分のほうからみた場合には、---この場合、タテマエはポリシーという意味で、そのポリシーを守ろうとすると、意地になるのです。
この際、
他者のほうからみたタテマエを理想自己といい、
自分のほうからみたタテマエを自我理想といいます。
したがって
体面は理想自己にかかわり、意地は自我理想にかかわるということになります」
以上の著者の論述も「家康志向」の<世間>を前提にしている。
私が強調したいのは、基本的に建前=本音である「信長志向」の<世間>の場合、
自分のほうからみて、こうありたいというタテマエである自我理想と、
他者のほうからみて、こう見られたいというタテマエである理想自己と同じであり、
両者ともに、本人がこうありたいと望むホンネの自我となんら変わるものではない、
ということである。
本項(6:結論)の冒頭で触れた喩えを用いれば、
人前でも「武士は喰わねど高楊枝」のサムライが自分独りでも「武士は喰わねど高楊枝」のようなもので、それは無理してやっているのではなくダイエットが好きで苦も楽しんでやっている、ということになる。
たとえば、坂本龍馬は、当時の厳しい身分制度に従って一般的なタテマエ社会に順応はしていたが、自由に活動する個としての「信長志向」の言動において、こうありたいという自我理想を身分の上下に関係なくさらけだしていた。幕臣である勝海舟が外様やその脱藩者ふくめた各藩士を指導した言動においても同様だ。
そもそも「信長志向」を好むタイプにとっては、こう見られたいというタテマエである理想自己などというものは無いか、あっても希薄である。ただあまりにストレートなために、「家康志向」を実践しているタイプからは自らの尺度で計って、こう見られたいというタテマエである理想自己を演じていると勘ぐられてしまう嫌いはあろう。しかし本人じつは、ホンネこうありたいという自我をそのまま出しているに過ぎない。
なぜかこういう気質は、日本人に人気の維新の志士たちに共通している。
こういう気質は、著者の言う「タテマエそのものに自分を同一化させることによって、ひとつになる」対他的義理とは真逆のものである。
タテマエ社会ではタテマエを用いたり踏まえたりしないと、相手のある人間関係は築いていけない。しかし、こういう気質の持ち主の場合、肝腎な所ではあくまで「タテマエの方を自分そのものに同一化させる」のである。
それが、彼らの意地である。
彼らの場合、体面にはあまり関心がない。体面があってもそれに自分そのものが同一化してないので、体面が損なわれても自分自身のホンネは少しも傷つかない。また、体面をおだてられても自分自身のホンネは少しも高ぶらない。そういう自然体の人となりが一貫している。
坂本龍馬や中岡晋平が体面を気にして体面を潰される度に傷ついていたら、薩長同盟など成らなかったに違いない。
なぜ日本人は維新の志士が好きなのだろうか。
私は、日本人の大方が「家康志向」に一辺倒化する<世間>で仕事したり暮らしていて、自らもその実践者とはなっているが、その息苦しさや限界を日々肌身で実感しているからではないかと思う。
龍馬や勝や信長が抱きそして果たした義理は、
本音と建前を分つ「対他的義理」とは違うことは明らかだ。
それは、本音=建前の「自他同一的義理」と言うべきものである。
彼らの潔い言動を振り返るとそれは、自然体と素直さを媒介に「即自然的義理」と大いに重なり、結果論としてその継続的献身の成果が「即天意的義理」に叶うもの、時代や社会の要請に応えたものとなっていると捉えることができる。
これは何も英雄的な人格者でなければ持ち合わせない義理ではない。
一般庶民の凡人でも持とうと思えば持てる義理である。
たとえば、「対他的義理」でも、他人に対してではなくご先祖様に対して、こんなことをしてはご先祖様に申し訳ない、と自らを律してタテマエを全うすれば自律的であり、それはほとんど、=ホンネ、と言えよう。
あるいは、「対他的義理」でも、他人に対してではなくお天道様に対して、こんなことをしてはお天道様の下を歩けない、と自らを律してタテマエを全うすれば自律的であり、それはほとんど「即自然的義理」言えよう。
そして本来、<社会人的な心性>を<部族人的な心性>をベースとして温存して形成してきた日本人は、誰に教わるでもなく、ご先祖様やお天道様とともに暮らし、それらに恥じない生き方をしてきたのである。
なまじ人工的な組織やそれに帰属することによる特権的な身分などを意識するようになって、それらを狭量な排他性や保身主義の<社会人的な心性>に歪ませてしまうのである。
著者は「義理の世界」を以下の概念図で解説している。
確かに、「家康志向」の<世間>を前提にした「対他的義理」の世界はこのように説明できる。
しかし、「信長志向」の<世間>を前提にした「自他同一的義理」の世界はこの図では説明できない。
著者の概念図では、「受容世界」=「内」、「非受容世界」=「外」であり、両者を媒介する中間領域、つまりは空間軸において「対他的義理の世界」が位置づけられている。
一方、私が思うに、龍馬や勝や信長にとっては、
「受容世界」=「内」、「非受容世界」=「外」ではそもそもなく、
自分自らの思いに焦点を当てて、
「非受容世界」=「過去」、「受容世界」=「未来」であり、両者を媒介する中間領域、つまりは時間軸において「自他同一的義理の世界」が位置づけられる。
彼らにとっての「義理の世界」とは、非受容の「過去」を受容の「未来」に転換しようとする自分のホンネを生きる「現在」なのである。
「信長志向」を好む者にとって、組織の「内」「外」は一過的でそこに軸足がないから、それに軸足を置いた身分の「高」「低」にあまり関心を払わない。そんな彼らは、「家康志向」の<世間>にどっぷりと浸りそこで保身する者からすれば、地に足の着かない流浪の身、身分を弁えぬ不届き者とみなされるが、それは彼らの見方であるとして気に掛けない。
「自他同一的義理」とは、日本人の「相手を経由する自己」のあり方の一つだが、「即他的義理」のように”私”のない外発的なものではない。”私”のある内発的なものだ。
ならば、どのように「相手を経由する自己」が主体となるのか。
それは、志縁の本質あるいは志縁のダイナミズムと言っていい。
同じ志を抱く者同士がお互いに「相手を経由する自己」になる。その切磋琢磨の交流や対話が互いを触発し育成しあいともに「相手を経由する自己」を高めていくのである。
それは、非受容の「過去」を受容の「未来」に転換しようとする自分のホンネを生きる「現在」を生き続ける、ということである。
そのような自己であり続けたいと熱望する者同士が志を共有して暮らすのが「自他同一的義理の世界」である。
この世界を生きる者にとって、組織の内外、身分の高低といった他者と比較してはじめて自分が位置づけられるような側面は自分の本質ではない。
このような「自他同一的義理の世界」を概念図にすると以下のようになる。
自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」において、その「自由に活動する個人」が「自他同一的義理の世界」を生きる場合、彼らによって培われた集団の志はより高いものとなり、それを達しようとして連帯する能力は極めて高くなる。
集団を身内で固定する「家康志向」、その一辺倒化が官僚社会、企業社会(マスコミ含む)、学校社会(学術社会含む)、地域社会など全体社会に蔓延し、しかも内向き閉鎖的に互いを呪縛しあっている現代日本は、これまでにない国難を招きこみ破綻の極みにあると言っても過言ではない。
放射能汚染の拡散が不用意に助長されることなど、日本人の誰一人としてその弊害を被らないものはない。そればかりか、海洋汚染と大気汚染で世界もその弊害を被ろうとしている。
つまり日本は、日本国民を受容しない「非受容世界」になっている。さらに汚染拡散を放置すれば世界からも受容されない「非受容世界」になってしまう。
こうした事態と動向を前向きに解決していくことができるとすれば、それは国内外における外向き開放的な恊働を充実し連携させる以外にない。
それを意欲的かつ創造的に担うのは、「自他同一的義理の世界」に自由に活動する個々の有志たちであり、彼らを適宜な集団に構成する「信長志向」に違いない。
私たちは国の内外で世界の人々と国籍や人種や宗教の垣根をこえて、個々がそれぞれの関心事で志を同じくする者同士として、「自他同一的義理の世界」で自由奔放に恊働することができる。
そうした有志たちが深く連帯し広く連携することで初めて、この内向きかつ閉鎖的な日本を、日本国民を受容し世界からも受容される「受容世界」にしていくことができる。