父の要介護状態の急変についての備忘録(6) |
午前中から、いろいろと相互に関係する微妙な判断を迫られた。
その経過と結果の備忘録。
2/15(火曜)
私が朝食の介助。
父は最初のスプーン一杯を口に入れるも呑み込まず。
「食べてください」とくり返し声掛けしても食べず。
口中のお粥が少し減ったところで二杯目を入れるが呑み込まず。
20分ほどすると、口中確認のために「口を開けて」と言っても頑に開けない状態になる。
看護婦さんを呼び事情を話すと、投薬含めて後は自分達でやりますということに。
明日退院だが家で食事させられるかどうか心配だ、というと、
その点はこちらとしては何とも言い用がありませんと言われる。
確かにそれは介護の問題であり、病院には関係ないことなのだろう。
問題があった時は、病気ではなく介護の問題として、
ケアマネや介護施設に相談することになろうか。
昨日夕方、他の看護婦さんは「自分達は昼食を一時間かけて食べさせている」と言っていた。
じつは私が気になったのは、こういうことだ。
万一、自宅に戻って父が頑に食べず衰弱したり、スプーン一杯の口への追加が誤嚥を招いて喉を詰まらせたり、入院中にあったようにそれで意識が遠のいたりして一大事となった際、「病院ではゆっくり食べさせて食べてもらってました」ということから、警察からあらぬ疑いが家族に向けられる可能性だ。
じつは、入院初日にベッドで看護婦さんが父の洋服を脱がせた際に、脛に自分でかゆくてかいた細いミミズ腫れのような引っ掻き傷が沢山あって、それを見て私を振り返り「これはなんですか!」と睨んだのだった。
私もそんな引っ掻き傷を初めて見たのだが、「自分でかいちゃうんですよ」と慌てて答えた。虐待を疑う眼差しだったから、正直、思わず言い訳した感じだった。
人に話すと大袈裟だというが、あらぬ疑いで濡れ衣を着せられた人はみな他人の無責任な憶測やたまたまの疑わしい状況を理由にそうなっている。
そこで万一に備えて、病院で私や母が食事介助した時に、父が食事を拒んで食べない様子をビデオで撮影しておくことにした。
今朝の朝食の私介助分を三脚で撮った。
今日の夕食の母介助分を私が手撮りする。
病院から帰宅後、
①掛り付け医師に電話した。
要件は、医師は「外泊」という言葉を使い、看護婦は「退院」という言葉を使い、私としては前者なら身の回りのものを置いて父を家に戻す、後者なら身の回りのものを片づけて退院手続き支払いをして父を家に戻す、ということだが、どちらなのか、病院側からはっきり指示をもらっていないので、それを質問した。
すると中村先生の方から、「どちらがご要望ですか?」と質問された。
正直、事の前日に患者家族の方から電話して初めて問われたことに驚いたが、父の様子から家での食事困難が予測できる以上「では外泊で」と答え、先生から「では三泊三日の外泊ということにしましょう」と言われた。
これについては、後で、私から電話して最終的に「退院」に変更することになる。
②ケアマネの鈴木さんに電話した。
昨日の夕方と今朝の父の様子から、自宅で父が食事を拒み続けることが予測され、何かの時にどこかへ連れて行く可能性が高いので、車椅子(私のクルマのトランクが小さいのでなるべくコンパクトなもの)をレンタルすることにし、そのことの連絡をした。
鈴木さんは、今日4時に医療機器会社の人がスロープの設置とレンタル契約にくるのに追加させる、自分も同行するとのこと。
ここで2つのことをアドバイスされた。
1つは、「外泊」となると入院中という扱いなので、介護保険が利かず、機器のレンタルやヘルパーの料金が1割負担ではなくなる、ということ。
→これを聞いて「外泊」ではなく「退院」に変更。
1つは、鈴木さんが昨日父を見たところ要介護度はいまの3から4ないしは5になり、変更することで利用可能点数が上がるので、早急に変更した方がいい、ということ。
→これをお願いすると、鈴木さんは今日認め印をもらって明日市役所で届け出をしてくれると。
今頃分かったのだが、鈴木さんの所属する介護施設「メディカルはば」は、父の生活能力をリハビリするところで、今の様子では当面通所(我が家ではこれを「デーサービス」「デイセンター」と呼んでいて、鈴木さんに掛り付け医の診察を要請され診察直後から入院することになるまで火曜金曜週2で通わせていたが、正確には「ケアサービス」と呼ぶらしい)は困難とのこと。
18日(金曜)の関係者会議(2時になった)は、鈴木さんが言うには、介護関連の専門家(「十字の園」のヘルパー派遣とショートステイの責任者)の判断を優先すべきとのこと。
鈴木さんは、入院前よりも介護負担が重くなり大変だから、退院当初からヘルパーを投入して病院と同じベッドをレンタルするといいと言ったが、
これについては私はこう判断した。
掛り付けの中村先生と私が合意しているのは、入院のままだと父の意思の鈍化、ひいては食事や歩行の能力の鈍化はジリ貧で、ここは帰宅して入院前の環境での回復を期待しようということだ。そこに、病院と同じベッドで看護婦さん以上に親切なヘルパーが付きっきりとなると、これは父にとって元の環境ではなく、家に帰っても新たな環境ということになってしまう。
ここは、大変は重々承知の上で、私と母の身内でなるべく入院前の環境とやり方で介護してみよう。そして退院後の自宅で、どんな介護がどのように負担なのかの実感をもとう。そこから、金曜日の会議でプロのアドバイスを受けて、今後の対応を考えていこう、と考えた。
こう話すと鈴木さんも賛成した。
(いま丁度、正午。
・これから母を外食と買い物に連れて行き帰宅。
・玄関の上がり框の板スロープ工作。
・4時に介護器機レンタルのスタッフと鈴木さんが来るので待機。
車椅子がクルマのトランクにどう積めるかテスト。
・5時45分に母が父の夕食介助するのを送迎支援。
母食事介助をビデオ撮影。
本日持って帰って構わない身の周りの品物を撤収。
以上が今日の日程。)
なお父を週2で通わせていたケアセンターで入浴をしてもらっていたのが、通所できないとなると、訪問介護による入浴サービスを利用することになる。そうした利用点数アップのための要介護度の変更をする訳だが、そうした手配をするまでは、ベッド上での身体拭きで対応する。
当面の目標は、
①父に無事食事をさせること
②多少の介助で自立して歩行できるようにすること。
③週2のケアセンターに通所できるようにすること。
ということだ。
鈴木さんによれば、訪問介護による入浴サービスには看護士と介護士が関わり
医者の診断書や指示書がいるという。
通所による入浴はこれが要らなかったから、そういう元のやり方に戻せれば戻したい。
そもそもケアセンターへの父の通所は、母の骨休めのためであって、これを復活させないと母の方の心身が参ってしまう可能性が高いのだ。
*ケアセンター通所が可能となる条件については後で鈴木さんに質問しよう。
(追記)
いま、車椅子とスロープのレンタルの契約を終えた。
ケアマネの鈴木さんが認め印をもらいにきていろいろ教えてもらった。
◯鈴木さんの所属する「メディカルはば」は、リハビリがメインで、
今の父の状態だと通所できない、少なくとも自分で立てる状態にならないとダメだという。
車椅子でも通所している人、たとえば手の動きでリズムをとるリハビリをしている高齢者もいるので、どういう条件なら以前のように週2で通えるのか聞いたが明快な答えはもらえなかった。
おそらく、鈴木さんは父の食事の介助の大変さをみたので、そういう所が解決しないと施設としては受け入れたくないのではないかと感じた。
◯「十字の園」は介護がメインで、金曜の会議には、ショートステイ担当者、ヘルパー派遣担当者が来るが、他に介護=デイサービスの部門があるという。
説明されて分かったのは、ヘルパーや介護士では医療行為はできないため、父のような誤嚥や食事拒否に対応することは看護士でないとできないこと。あと、父のような低血圧の場合、掛り付け医の指示書に従って入浴をさせる看護士が必要となること。
こうした看護士の派遣が「十字の園」ではなく、そのサービスのある事業所から看護士派遣の担当者を金曜日の会議に呼んではどうか、とすすめられた。
訪問しての入浴介護(浴槽持ち込み)とか食事介助を頼むかどうか別として、父の様子を見てもらっておいた方がいざという時に良いということで了解した。
◯これまで週2「メディカルはば」で入浴してもらってたが、血圧の低さに掛り付け医の診察を要請したのも看護士であった筈だ。
「十字の園」のショートステイでも入浴に関して同様の気遣いを看護士がする筈で、「十字の園」がショートステイを受け入れるかどうかは、金曜日に父の様子を見てもらって判断されるという。ちょっと昨日の鈴木さんのニュアンスと変わっていて気になった。
けっきょくは、施設側の受け入れ体制や諸事情によるところが大きいようだ。
◯3月に予約した2回のショートステイは母の眼科手術絡みなので、是非確保したい。
万一、受け入れてもらえない時は「はあとふる」の中村先生のご厚意に甘えることになるが、入院はまた父の意思を鈍化させるだろう。
その辺りは父の回復度合いにもよるだろう。
医療と介護の制度上の複雑さや施設ごとの事業内容の違い、
父の様態の変容や先行き不透明、
以上を合わせた諸条件に、私と母でいかに対応するか?
しかも母の心身の状態と眼科手術入院を無事に終えることが重大。
ここまで複雑な難局は仕事でもなかった。
だからこそ
「よし、乗りこえてやろうじゃないか」と私は腹を括った。
(5時半になったら、父の夕食の介助に母と病院に向かう。)