内田樹著「日本辺境論 Ⅳ 辺境人は日本語と共に」を読む(5:結論) |
「格物致知の物」と「もののあわれのもの」の違い
本項(5)では、日本語の文法的な骨格と「身体感覚をともなった情緒性」の認知表現にフォーカスさせる特性を担う「和語」、そのニュアンスは「女性原理」をベースとしているのではないか、という仮説を検討していきたい。
私は、認知症を深めて行った現在95の父が、最初に「カタカナ英語」を忘却し、次に「漢字言葉」、最後まで忘れないのが「ひらがな言葉」であることに遭遇した。
それは当然といえば当然なのだが、それほど忘れにくい「和語」が、私たち日本人の発想思考を制約したり個性化したりしている、と考えることも当然であると言いたい。
そしてこの「和語」による制約や個性化は、「女性原理」をベースとしているのではないか、と仮説した。
何をもって「女性原理」とするかだが、民族の集合的無意識との絡みでユングの言うそれを前提する。しかし、物事の本質をシンプルに捉えるには、むしろリュス・イリガライが「性的差異のエチカ」で展開した「男性は数と観念、女性は場」といった主旨を想定する。
私は個人的にはこの主旨を、
男性は、支配層に書き言葉が普及した有史以後、人々に「社会人的な心性」が拡張していってそれを担う性として「数と観念に生き」、
一方、女性は、人々の深層に根深く存在し続けている、それ以前からの「部族人的な心性」を捉えて「場を産み場に生きる」、
と捉えている。
しかしこの捉え方の弊害は、「男性原理」と男性、「女性原理」と女性を短絡的に結びつける誤解を生みやすいことだ。
そこで、いま一つ本質をシンプルにつかまえる捉え方を前提する。
それは交流分析が5つの自我要素として提示する5つの内の2つ2組の組み合わせだ。
「CP=批判的な親」と「AC=従順な子供」の交流
「NP=保護的な親」と「FC=自由な子供」の交流
「CP=批判的な親」と「AC=従順な子供」の交流の典型は
縦社会の主従関係や家父長制下の父子関係であり
こちらが「男性原理」
「NP=保護的な親」と「FC=自由な子供」の交流の典型は
現代の友達のような母娘関係や適宜に協力しあう横並びのNGOやNPOであり
こちらが「女性原理」
という感じだ。
おそらくユングの元型論を引用するより、こちらの方が生活実感をもてるのではなかろうか。
「和語」による制約や個性化は、「女性原理」をベースとしているのではないか、
という仮説に至った経過はいろいろだが、一つの話をしたい。
「格物致知の物」と「もののあわれのもの」の違いに絡む話だ。
最後にその成果を踏まえて著者の論述を検討して、本論シリーズの結論としたい。
話は、私の中国語翻訳の先生であった中国人留学生から質問されたことに始まる。
「物と事がどう違いますか?ぜひ、教えていただきたいです」
私たち日本人は、「モノ」と「コト」が違うのは自明であると思っている。
しかし、それがどう違うのかとたずねられて、正直当惑した。
気を取り直して私はなるべく正確を期してこう解説した。
「私たち人類が言葉をもつ前から、森羅万象の「物事」は、現象として一体だったと思う。 しかし、言葉は、それを分別することで成り立っていった。それは、人間の頭の使い方の進化でもあった」
(我认为,在人类拥有语言之前,森罗万象这个「事物」作为现象原本是一体的,而语言是在将其辨别的基础上形成的,这是人类使用大脑方法的进化。)
「ところが、中国人はこういう物事の捉え方を一般的にはしない。
どうもそれは、古代中国以来の『本である物を身につけることで初めて、知が体系化される』という意味の『格物致知』の『物』概念がどうしても念頭に確固としてあることに関係していると感じる」
(不过,中国人对事物一般没有这样的想法,我觉得这与中国自古以来的「领会本即物才可以将知体系化」,「格物致知」的「物」的概念根深蒂固有关。)
「日本語の、漢字が入ってくる前の大和言葉の『もの』は、『もののあわれ』というように、コトも指していた。つまり物と事が一体の表現だったということだ。『もののあわれを知る心』とは、『人が事に触れて感動し、事の趣を深く感受する心』とされ、この働きから和歌が生まれる、とされた」
(在采用汉字以前,日语即大和语言的「もの」这个词、比如我们所说的「もののあわれ」的「もの」,也指“事”,就是说,物和事的表现是一体的。所谓「认识もののあわれ的心」就是「人们易被遇到的事感动且能深深感受事物情趣的心」,和歌就来源于这儿。)
「中国古代の、『格物致知』の『物』の概念も本質、道理というコトを指している。
私は、『もののあわれ』の『もの』と『格物致知』の『物』、両方ともにユングがいう『元型』architypeないしは『元型的イメージ』を指していると考えると、話が重なってくると思う」
(一方面,中国古代的「格物致知」的「物」的概念也指本质和道理这个“事”,考虑到「もののあわれ」的「もの」和「格物致知」的「物」一起指安格(Jung)主张的「元型」architype或「元型的形象」,我认为两者重叠了。)
「同じ『元型』archtypeないしは『元型的イメージ』を、大和言葉の『もの』は情緒的に認知表現し、中国語の『物』は理性的に認知表現している。つまり太古の昔から日本人と中国人では文化的な背景の違いから、認知表現の目的と重点が異なっていたのだろう」
(同一个「元型」architype或「元型的形象」可以用大和语言的「もの」感性地认知和表现也可以由汉语的「物」理性地认知和表现。就是说,自上古以来由于日本人和中国人文化背景不同认知和表现的目的和重点也不同。)
「ユング自身は『元型』とそれが出現させた『元型的イメージ』を峻別していて、本来、前者は宇宙原理のようなものだが、一般的には後者のことを指してしまうようだ。 そして『代表的な元型(的イメージ)』の一つに<太母vs老賢者>がある」
(安格(Jung)自身严加区别「元型」及由其产生的「元型的形象」,本来前者指像宇宙原理那样的意思,不过一般被理解为后者的意思,而且<太母vs老贤者>是具有代表性的「元型(的形象)」之一。)
「『太母と老賢者はともに自己元型の主要な要素で、大母はすべてを受容し包容する大地の母としての生命的原理を表し、他方、老賢者は理性的な智慧の原理を表す』とされる」
(老贤者都以自己元型为主要要素,作为接受且包容一切的“大地之母”,太母表现生命的原理,与之相对老贤者表现理性的智慧原理」。)
「私は、前者の太母の認知表現が大和言葉の情緒的な『もの』概念、後者の老賢者の認知表現が古代中国の理性的な「物」概念と捉えることができる、と考えている」
(我看我们可以说,前者太母的认知和表现是大和语言的感性的「もの」的概念,后者老贤者的认知和表现是古代中国的理性的「物」的概念。)
私の説明に、質問者の中国人の文系大学生は、納得してくれた。
ここで、
太母の認知表現=大和言葉の情緒的な「もの」概念が、女性原理
老賢者の認知表現=古代中国の理性的な「物」概念が、男性原理
である。
私たち日本人は、漢字を中国から導入したが、必ずしもその概念までをそのまま導入した訳ではなかった。
男性原理を内包する「物」を、女性原理を内包する「もの」に当てたことには、明快な対称性があり、当時の中国語と中国文化に詳しい知識人たちがそのことを知らない訳はなかった。
とすると、これは確信犯的な意訳だったと考えられる。
しかしここで注意すべきは、漢語の「物」と和語の「もの」は同一でもなければ対称するでもないということだ。
和語の「もの」は、「もののあわれ」の「もの」(=事)でもあり、「もののけ」の「もの」(=鬼)でもあり、後者の場合、コトもモノも指す漢語の「物」と重なるところはなく、それとの男性原理/女性原理という対称性もない。
だから和語の「もの」に漢語の「物」を当てたのは、重なるところと、重ならないところとがあることを分かっていての二重の確信犯の意訳だったことになる。
中国人の留学生に分かってもらったのは、あくまで漢語の「物」も和語の「もの」も、コトでもありモノでもあるという重なりと、そこにある対称性を示した点だけだ。
言わば、中心の価値体系で「社会人的な心性」に理解を求めただけだ。
周縁の辺境日本人の土俗的な「部族人的な心性」で理解しうる「もののけ」の「もの」(=鬼)については割愛した。漢字を使って「物の気」「物の怪」と表現されることは、漢語ネイティブをしてかえって混乱させるだけと考えた。現代の英米人日本語学習者が「カタカナ英語」に戸惑うのと同じ事態になることを回避した。
日本語は、漢字を多用はしているが、基本的に和語という話し言葉であり音声自体に表意性があることを忘れてはならない。
そこが中国語と大きく違うところである。
たとえば、赤ん坊の「あか」と明るいの「あか」は和語としてはある状況や状態を指し示す同一の言葉で、その展開によって漢字の「赤」「明」が当てられた。花、鼻の「はな」もそうだ。先っぽという状態が、草木の先の展開は「花」、顔の先の展開は「鼻」が当てられた。
おそらく、専門家であれば物の怪の「もの」ともののあわれの「もの」も、どのような状況や状態が同じで本来同一の言葉だったのか説明できるのだろう。
しかし中国人によって発せられた「物と事がどう違いますか?」という質問には、そこから説き起こすのはかえって話を複雑かつ怪奇にするだけと思われた。
話が脇道に逸れたようだが、そうではない。
私は、
和語が「ある状況や状態を指し示す同一の言葉で多彩な物事を一括して表現した」ということが、物事を横つなぎして包み込む「女性原理」である
と言いたかったのだ。
これに対して、
「男性原理」は、物事をどんどん分類していくもので、和語以外の言語の「物事の個別性や差異に着目しそれを峻別して指し示すべく違う言葉を逐一用意している」一般的様相に相当する、と言いたい。
この一般的様相に関して和語が例外なのであって、「和語」「漢語」「カタカナ英語」を合わせ使いする戦後日本語も例外ではない。
中心の「真名」の原理主義と、周縁=辺境の「仮名」の情緒発展主義
著者は学者ならではのこんな指摘をしている。
「ここまでヘーゲルとかハイデガーとか丸山眞男とか引用してきていますが、彼らの文章はいわば『真名』に相当します。
ですから、引用の後に『というようなことを偉い学者は言ってますが、これは平たく言えば・・・』というふうな『仮名に開く』パラフレーズ作業を必ず行います。
コロキアルな(話し言葉の)生活言語の中に『真名』的な概念や述語を包み込んで、コーティングして、服用し易くする。このような努力は日本人にとって本態的なものだと思うからです。
まさに私たちの祖先はそのような仕方で外来の文化を取り込んで『キャッチアップ』してきたからです」
私は、この「コロキアルな生活言語の中に『真名』的な概念や述語を包み込んで、コーティングして、服用し易くする」日本人にとって本体的な努力は、何も外来文化の取り込みやキャッチアップに限らず、いわゆる「本歌取り」と言われる過去の知識を現代的に再構成する知識創造活動にも展開してきたと考える。
「本歌」が「真名」であって、「本歌取り」した成果が「仮名」に他ならない。
和歌だけではない、前項(4)で触れた俳諧の「詞付」も古典を踏まえた連携づけであり、そういう意味では俳諧自体が「仮名」的に創出されたものと言える。さらに、俳諧連歌の発句だけを独立させた俳句も、俳諧連歌の形式を「真名」とし俳句という「仮名」の新形式が創出されたと言える。
さらに文学だけではない、江戸の吉原文化は、平安の宮廷文化のパロディだと言われる。「真名」に対する「仮名」とはパロディでもあるのだ。
私たち現代人も、目新しい商品について説明する際に、既存の商品を「真名」に見立ててあたかもそれがその「仮名」であるかのように、「◯◯の△△版」と表現したりそれで分かり合ったりする。たとえば、「ベイブレードはべい独楽のグローバル版」といった具合だ。
ここで留意すべきは、「真名」に対して「仮名」が、あるいは「本歌」に対して「本歌取り」した成果が、まったく引け目などもっていないということだ。
むしろ、新しい時代と環境に適応して発展させていることを誇っている。
ここに辺境人日本人の知的創造性と自信をもつべきバイタリティがある。
「本歌取り」の知識創造活動は「知の庶民化」のダイナミズム
話を著者の論述に戻そう。
「けれども、私が知る限り、学術的論件をコロキアルな語法で展開することに知的リソースを投じるとういう習慣は欧米にはありません。学術論件は学術用語で語られ、生活的事象は生活言語で語られる。
哲学用語に生活言語が流用されることはしばしばありますが(中略)それは哲学用語の語彙を拡大するためであって、哲学を学んだことのない生活者にも話をわかりやすくするためではありません(中略)。
それは私たち日本人が生活実感から遊離した、圭角(筆者注:性質や言動にかどがあって、円満でないさま=排他的な専門性)のある概念を柔らかく包み込むために、コロキアルな生活言語を拡げたり伸ばしたり曲げたりたわめたりする努力とは無縁のものです。
欧米人の学者たちにはそもそもそのような『努力』が存在しなければならない理由が(中略)理解できないでしょう。というのは、これは『翻訳』の一種だからです。
母語で哲学している人たちには、それをいちいち土着語に翻訳しないと、読者に『話が通じない』という辺境人の苦労はわからない」
この著者の論述を読んで、私はまず、この「『翻訳』の一種」の知識創造回路が、日本人全体に共有されていて「社会人的な心性」となっていること、すでに述べたように単に「外来文化の取り込みやキャッチアップ」だけでなく、様々な領域における「本歌取りの知識創造活動」にも展開してきたことを、繰り返し主張したい。
その上で、様々な領域における「本歌取りの知識創造活動」の共通の特徴として、「特権的な物事を庶民化するダイナミズム」を指摘したい。
その典型が浮世絵である。
浮世絵の創始は、大和絵の肉筆画という一般庶民には遠い文化を、版画による量産量販体制で庶民化するというパラダイム転換であった。だから当初の浮世絵は肉筆画の太い細いのある線が再現されたのだが、歌麿の全盛期には版画ならではの極細線や色面を線で区切らない描法が盛んになっている。
そして浮世絵に大きな影響を受けた欧州の印象派の画家たちがもっともショックを受けたのは、そうした描法や構図ではない。庶民の生活が画題になっていて、一般庶民がこれを買い求めていた、絵画をめぐる社会のパラダイムだった。彼らは古来、王侯貴族や裕福な商人の人物画や教会の宗教画を描いてきたのであって、江戸庶民には当たり前の庶民志向がショックだったのだ。その点で、印象派への影響ばかりが注目されるが、このカルチャー・ショックがその後の欧州での量産するリトグラフや量販するポスターの発展に繋がっている可能性がある。
この「本歌取りの知識創造活動」の共通の特徴である「特権的な物事を庶民化するダイナミズム」は、物事の作り手、送り手側だけのものではない。
物事の使い手、受け手側でも大いに展開する。
たとえば1980年代の日本のバブル期その以前までは、ルイ・ヴィトンやグッチという舶来高級ブランドは、欧州の王侯貴族か大金持ちのもの、つまりは欧州階級社会の上流人の持ち物と相場は決まっていた。なにしろ売る側がそれを誇りとしていたのだ。今となっては私の学生時代、つまり30年前、エトワールのルイ・ヴィトン本店では押し寄せた日本人客に売り惜しみ差別をしていたことなど知る人はいないのだろう。
それが、バブル期に小金持ちになった一億総中流意識の一般庶民が一点豪華主義で生涯所有を前提に買うようになる。不思議なことにさらに複数所有を競うようになっていったのは、なんとバブル崩壊後の平成不況下だった。
この時には、欧州高級ブランドは直営店を日本に設けて完全に日本をターゲットに毎年新デザインを打ち出すようになっていた。以前は、ルイ・ヴィトンと言えばLV、グッチと言えば緑と赤のストライプとそれと一目で分かる定番が人気だったのが、毎年新作が出て流行が生まれるようになった。
買い手側も新作をいち早く持っていることを誇示するようになり、コメ兵がそれを早期購入者から買い取り後期購入者に売る「リレーマーケット」を全国ネットワークで構築した。ピーク時には、お客さんに買ってもらっては売るキャバクラ嬢が憧れのファッション・リーダーになるなんて事態も展開した。
若い日本人女性のファッション行動が東アジアの若い女性たちに与えて来た影響を考えると、以上の展開はグローバルに「特権的な物事を庶民化するダイナミズム」が働いたと言えよう。
考えてみればクルマもそうだ。
アメリカのビッグ3と欧州老舗メーカーが世界の君臨していた昔、自動車市場は大きいアメ車と欧州高級車を2つの頂点とする山のようなものだった。
それが1970年代の排ガス規制をホンダが最初にクリヤーした辺りから、日本の快進撃が始まった。それは相対的に小型の大衆車という裾野市場の高品質化という道のりだった。
そして最終的には、ビッグ3や欧州高級車の方が日本車化してきてしまった。
それは、送り手側の変化でもあるが、それを要請した受け手側の変化であり、それを触発し向上させ続けたのは明らかに日本人が生み出した庶民的なカーライフのスタイルなのであった。
よく「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」はあるが「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」は無いと言いきる知識人がいる。
しかし私には、「庶民ライフスタイルの質的向上を工夫しつづける」ことを就労者と生活者が共同学習しながら社会的に展開することが「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」だと思えてならない。それは世界が日本の文化とプロダクトを通じて認めていることなのだ。
以上のようなことを踏まえると、
著者の指摘する、「欧米の学者たちが私たち日本人が生活実感から遊離した、圭角のある概念を柔らかく包み込むために、コロキアルな生活言語を拡げたり伸ばしたり曲げたりたわめたりする努力をしない」ということは、
欧米において「知の専門化」だけが進んで「知の権威化」が当然視され、「知の庶民化」ということが進んでいない、と言い換えることができる。
じつは、中国でも似たような事情がある。
いろいろな体験からいろいろな理由を考えたが、最終的に得た「なぜ欧米と中国でそうなのか」の私の結論は、「彼らが中心に位置しているからだ」というものだ。
日本のような周縁で辺境の学者が「知の権威」をふるったところで、中心の学者には叶わない。特別な例外を除いて、一般論としてそういう構造にある。構造は、律令国家の時代以降、漢文の素養が学者に求められたり、現代では英語論文の学会発表が教授の要件であったりすること自体に象徴される。
中心における「知の専門化」と、周縁における「知の専門化」では、その社会における受け止められ方が異なるのだ。
中国の「知の専門化」は、中国古来の特徴である「共時性にのっとった<意>起点の発想思考」がその枠組みとなっている。
言わば「知の目的志向論」が基調としてある。
これに照らすと学者は、私たち日本人が生活実感から遊離した、圭角のある概念を柔らかく包み込むために、コロキアルな生活言語を拡げたり伸ばしたり曲げたりたわめたりする努力などよりも、エリートとして国家や社会を発展させる努力に専念すべきである。
そういう「社会人的な心性」が流布していて、本人も周りもそう思っている。
中国人を見ていると、エリートは国家社会のために頑張り、非エリートは自分と家族のために頑張る、そういう役割分担が明快にあるように感じる。
その点、日本人は、それぞれが国家社会のためにも頑張り、自分と家族のためにも頑張るという折衷、ないし調和的な統合を理想型にしているように感じる。
欧米の「知の専門化」は、キリスト教から科学技術そして金融資本至上主義に至る「因果律にのっとった<知>起点の発想思考」がその枠組みとなっている。
言わば「知の手段志向論」が基調としてある。
これに照らすと学者は、私たち日本人が生活実感から遊離した、圭角のある概念を柔らかく包み込むために、コロキアルな生活言語を拡げたり伸ばしたり曲げたりたわめたりする努力などよりも、エキスパートとして細分化した専門分野の手段を向上させる努力に専念すべきである。
そういう「社会人的な心性」が流布していて、本人も周りもそう思っている。
アメリカ人を見ていると、エキスパートはとにかくその専門性を際立たせて成功することが至上命題であり、それで自分が金持ちになり社会の貧富の格差が拡大したり、大袈裟にいえば戦争を苛烈化させても構わないという感じがする。彼らは、ゴッドファーザーが日曜日に教会に行くように、個人として神の前で慈善をすればそれこそが社会貢献だと考えている節がある。
その点、日本人は、日々の仕事や暮らしが生活の糧であると同時に社会貢献でもあることを理想型としている感じがする。
あくまで、私の感じ方に過ぎないし、それが世界的にみれば「平和ボケした甘ちゃんの仕事や生活だ」と言われてしまうとも思う。
しかし、そのような互恵的ないし互助的な仕事や生活の有り方が単なる理想でなくて、それなりの現実として展開されてきた歴史と伝統が日本に限らず世界にあることも事実なのだ。
私は、それが世界に稀少なお気楽な環境だと否定的に捉えるのではなく、いかにしたら世界の全体にそういう理想的な環境や人間関係を展開させていくことができるかと、発展的に捉えていきたい。
いずれにせよ、そうした理想型を尊重しなるべく現実のものとしようとするのが、日本人に特徴的な「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」が創造的に展開した場合だと思う。
この「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」は、辺境において、中心と周縁が交流する「縁」への対応を繰り返して来た日本人ならではのものであり、かつ有史以前の「部族人的な心性」をベースとするものである。
一方、古来、中心を自負してきた中国人の「社会人的な心性」は「共時性にのっとった<意>起点の発想思考」がその枠組みとなっていて、同様に中心を自負してきた欧米人の「社会人的な心性」は「因果律にのっとった<知>起点の発想思考」がその枠組みとなっている。
中国人と欧米人の学者や専門家から、日本人が努力している「知の庶民化」を見れば、基本的にはナンセンスである。
ただ単に、その最終的成果をみて、「どうしてこんな浮世絵を日本人は生んだのか!」「どうしてこんな画期的な製品を日本人は生んだのか!」と驚くだけなのだ。
言うまでもなく、この私たちが尽力してしまう「知の庶民化」は民族のダイナミズムであり、日本人ならではの「人間論的な集団志向の創造性」と密接に関係している。
「中心と周縁などない、文化多元的でそれぞれの個性が互いを補完しあう互恵的世界」へ
著者はこう総括している。
「私たちは華夷秩序の中の(筆者注:昨今は一国軍事大国のアメリカとの同盟関係の中の)『中心と辺境』『外来と土着』『先進と未開』『世界標準とローカル・ルール』という空間的な遠近、開化の遅速の対立を軸にして、『現実の世界を組織化し、日本人にとって現実を存在させ、その中に日本人が自らを再び見出すように』してきた。その点が独特だったのではないか」
私は賛成するが、事態はそういう側面ばかりではないと考える。
そして、むしろ著者の指摘したことの裏面に日本と世界の発展可能性を見出したい。
たとえば、日本のマンガやジャパンアニメが象徴的だが、大人向けのそれらは、大作の小説や映画を代替する「現代的な庶民化」と捉えることができる。腰を落ち着けて時間をかけて読書する、映画館で集中して鑑賞する。忙しい日常を送り専門以外の知識が浅く広くなった現代人にとっては、それは必ずしも最善のスタイルではない。携帯可能なマンガを移動中に読み進めることや、込み入った内容も分かりやすくビジュアル化するアニメの方が善いという者は若い世代ほど増えている。さらに同じコンテンツを展開した携帯ゲームを他者と共同でプレイするといった楽しみにも繋がる。
こうしたコンテンツとコンテンツを味わうライフスタイルを日本のマンガやジャパンアニメが拡張したとすれば、そこに空間的な「中心」も「周縁」もありはしない。
そういうコンテンツ好き、コンテンツを味わうライフスタイルの者が、世界中に同時多発したということでしかない。
浮世絵が欧州印象派に影響を与えたとして、江戸のあった日本が中心になる訳ではない。
そんなことはどうでもいい、というのが浮世絵を大和絵から「本歌取り」した創始者たちとその発展者たちの思いだった筈だ。
そして、彼らがそうしたグローバルな影響を知ることはなかった。
現在の日本のマンガやジャパンアニメの送り手と受け手の日本人は、世界中での人気を知っているし秋葉原や見本市で外国人とも交流し体感もしている。
しかし、それで自分たちがどういう位置づけないしは役割を担っているかについて、まだ理解していない。
そこが辺境人の弱点と言えばそうなのだが、広く世界を俯瞰して日本人が辺境人できた歴史と文化的蓄積を客観視すれば、それぞれに自分の位置づけと役割が可能性として見えてくる筈だ。
私は、
「中心と周縁があり、そこに非対称の力関係が存在した世界」を、
「中心と周縁などない、文化多元的でそれぞれの個性が互いを補完しあう互恵的世界」へ
パラダイム転換していく、
それが日本と日本人に与えられた召命なのではないかと思う。