この2年を「うちの親には困ったものだ」という本に照らす |
両親と同居したこの2年を振り返る本との出会い
伊豆高原駅近所には本屋さんは135沿いの文房具屋を兼ねた小さな店しかない。
ヤオハンの隣、薬のセイジョーの向かいなのでよく買い物ついでに寄る。
すると何故か幅1メートルほどのコーナーに私のその時の関心事の本がある。偶然が続いた最初はいくぶん神秘主義的な思いに囚われたのだが、最近は、どうも同じ関心事の得意客がいるらしいと判断している。
買った本が珍しいので聞くと、ある専門筋の学術書籍出版社が全国でもその店での売上効率が良いらしく、その店での売れ筋を出荷してくるとのことだった。
また、買った本が近隣でセミナーハウスを建設した人の著書であるときいたこともある。
今月新しい静岡県知事が誕生したが、川勝平太氏の6年前に出した本「海と資本主義」が置かれた。これは静岡県民としては当然のようだが、多くの著書の中からの選択はたまたま私の関心事にそっていた。第一章「海と列島社会」(一 海を通じての交流、二 重商主義と農本主義の対立、三 新しい人類社会像)は網野善彦氏が担当して第七章の座談会にも出ている。網野氏の著書は、中世と古代に「信長志向」の起源を見出そうと私が読んできたものだ。
そんな妙に気の合う品揃えの本屋で一番最近出会ったのが本書「うちの親には困ったものだ」だった。
別荘地での高齢の両親との3人暮らしを始めて2年になる。
鬱と高血圧に悩んでいた母は回復し、夫婦仲の悪い両親が朝から晩まで些細なことで繰り返した諍いも日に一二回の定例の刺激剤程度におさまった。
家族3人の関係は、最初はお互いが自分のやり方を主張しそれが叶わなければ我慢をしていると感じて葛藤があったが、地道に日々の話し合いや工夫を積み重ねることで、今は誰も誰かのために我慢を強いられているという感じはなくなった。様々なことのやり方に折り合いがついたり、諍いのタネを一つ一つ工夫してつぶしたのだ。残る不満は他ならぬ自分自身が理由のことになっている。
ちょうど、このように自分なりの対処を振り返っていた私にとって、本書はまさに検証のための本であった。
本書との出会いは、やはり伊豆高原には私と同じような高齢の両親と同居する人々が多いためか、一昨年に発行されたこのような本が売れるような社会状況が日本全体に広がっていて読者が多いためか、そのどちらかあるいは両方だと思う。
私と同様の経験をしている方は後者と思い、経験のない方は前者と思ってくれればいいと思う。
私は、本書を全部読む気にはならなかった。
なぜなら、本書はいくつかのパターンの「困った老いた親」について対処法を含む解説をしているのだが、私は自分の両親のことだけで精神的にいっぱいいっぱいなので、他人のケースまで読む気にならない。それぞれのケースを想像したり共感して読んでしまうだろう私には、それはハードなことなのである。
私は、序章などの総論と、自分の父親に当てはまるところだけを読み、これまでの対処を反省することにした。
著者たちは1982年に高齢者とその家族の支援を専門とするケアマネジメント組織を設立した当初のことを述べて「はじめに」の口火をこう切っている。
「まもなく気がついたのは、心理療法を求めて相談に訪れる成人した子どもたちの優に半数以上、『困った』親が原因でストレス状態にあるということでした。
彼らが自分の親を『困った』と表現するのは、衰えつつある親の世話という物理的な負担より、扱いにくい親とつきあう精神的な消耗に原因がありました。
多くの場合、子どもたちは地理的あるいは精神的に親と距離を置いてきましたが、親が歳をとってさまざまな影響がではじめたために、親から逃れることができなくなり、彼らに手を差し延べ、彼らと向き合わざるを得なくなったのです」
これは、私を含めた多くの人々の事情である。
「一般的な高齢介護にまつわる優れた本は多くありますが、親の困ったふるまいについてまともにとりあげた本はありません」
私もこんな本を初めて知った。
著者たちは、序章の冒頭でこう述べる。
「わたしたちのところに相談に訪れる人の半数以上が、自分の親は困った親だと考えています。(太字本文)
なぜそれほど多いのかは簡単な話で、親が気さくな性格なら、たとえストレスの多い状況でも、あなたは自分で対処できるでしょう。けれども、親のふるまいがチェックリスト(筆者注:序章の前に掲載)のようであれば、あなたは絶望的な気持ちになり、専門家の助けを求める可能性が高くなります」
じつは3年前、同居を決意し東京を引き払う1年掛かりの準備をはじめた当初、私は父母の果てしない要求を一身に受けるだけで、その精神的な過酷さについて周囲は実感できないために無理解であり、ほとんど鬱状態になった。これでは準備も覚束ないと感じた私は、家族にお願いして2ヶ月ほど誰も私に連絡をとらずにそっとしておいてもらった。
たまたま、発想ファシリテーションの方法論の研究でさまざまな心理臨床の本を読んでいた私は、素人ながらも自分の心理的状況とその限界が理解できたし、自分に適した療法のようなものを選択して実践できた。
お陰で心機一転。50歳をすぎた私にとって、四半世紀暮らした代々木の自宅と個人事務所の引っ越し準備を一人でするのは、思うだけでも気の遠くなる作業だった。しかし、個人と会社の転出転入はもとより様々な住所変更の手続きを含めて遺漏無くやり終えることができた。東京在住でないとできない仕事の整理はもちろん、伊豆実家の受け入れ体制も作らねばならなかった。実家の方は30年の両親の生活の堆積があった訳でかなり整理しなければ、私が仕事をして暮らすスペースは確保できなかった。つまり体力と知力を尽くして3軒の引っ越しをパズルのように一気にしなければならなかった。
そして引っ越しの日程が近づいてきた頃、父が軽い脳梗塞で救急車で運ばれた。幸いすぐに退院できたが、その3週間後、ちょうど私が東京から引っ越し準備で実家についた夜9時、父が東京に家出したことが発覚する。私は警察に全国レベルの捜索願を出した。結局、中央線最終電車のついた東京駅で保護された父を、私が翌日早朝丸の内警察に迎えにいって事なきをえた。
身内以外の人なら、誰だって客観的に私の先行きを危ぶむだろう。労いの言葉や詫びの言葉があって当たり前と思うだろう。
しかし私の身内は誰もそういう反応をしない。
「うちは問題児の父親がいるからそういうものなのだ」という前提が染み付いてしまっている。
まるで我慢大会のように、あなたも大変だろうけど、私だって大変なんです、ということで済んでしまうのだ。家族の皺寄せの多くを受け入れた者が精神を病んだり自殺をすることは、私も何度か他人事として聞いていたが、このままでは母も自分も危ないと実感した。
ちょうど、飲み友達の外資系に勤める女性から、仕事にかまけて高齢の両親をおっつけていた姉が自殺してしまったと打ち明けられた時期だった。彼女はその後会社をやめて家業の経営と両親の世話に専念したのだが、時機を逃すと取り返しのつかないことになると肝に銘じた。
「そうした高齢者について、子どもたちはたいてい、親は自分が物心ついたころからずっと困った性格だった(太字本文)と言います。
そのため、子どもの人生を通してずっと、親子関係は親のパーソナリティに影響を受けています」
これは、前記事「心理経済学の視点で身の回りと世間を見渡す(1) 」で私が、
「父には、家族に対して自分への感情労働を求める動機が無自覚的にある。
この動機に由来する言動パターンが、いまは集中的かつ継続的にシモのことで出ているが、考えてみれば、父の家族に対する言動パターンはかつてからほとんどそれであった」
と述べたことだった。
「親の困ったふるまいは昔のままどころか、加齢にともなう病気と喪失のせいでさらに悪化しています。また子どもの側も、心に抱えた過去のわだかまりが些細なことで刺激されるのです。(太字本文)」
父の場合も自由が狭まったことと斑ボケとで困ったふるまいを悪化させた。
母は、長年明るく自分の好きなことをしてやり過ごしてきたのだが、父が入退院を繰り返した7年前くらいからそうしたストレス解消ができなくなり、父に付きっきりで感情労働を強いられるようになった。結果、3年前には鬱と高血圧を患っていた。
同居してから私は、幼少期に両親の諍いの印象がトラウマになっていたことを思い知った。
毎朝、私の部屋の隣室で寝る父を母が起こす際に諍いがあり、寝ている私はその声を漏れ聞いてうなされたり、胸騒ぎがして起きるようになった。ほんとうに脈拍が上がるのである。
よく他人の鬱やトラウマについて、自分にはそういう症状がないからだろうか訳知り顔で、その本人に向かって「それは気にし過ぎだ」と言う人間がいる。
しかし、意識なら気にしすぎかも知れないしコントロールもできようが、寝ている時の無意識なり深層心理はそうは行かない。
鬱やトラウマの症状に悩む人たちはみなそういうレベルで悩んでいる。しかしそうした他人の身になる想像力が働かない人間は多い。そもそも他者の心身のことを訳知り顔で決めつけること自体、自分の優位を確認しているだけだから共感能力を欠くのだろう。また意識では同情したり励ますつもりでも、無自覚的に自分の鈍感や傍観を合理化していることも見逃せない。実際、症状に悩む人に同情とも励ましにもならぬ(外的真実)のだから、彼らがしたことは自己の合理化(内的真実)だけなのだ。
そういう心ない周囲の反応が少なくない状況で「困った親」に対応して孤軍奮闘する人々にとって、本書のような本は現実的かつ具体的な助けになる。
「あなたの親があまりに厄介で、親子関係を改善できる見込みなどないと感じているとしても、どうかあきらめないでください。ほぼすべての場合において、あなたと親の状況を改善するためにできることはあるのです」
3年前、東京から伊豆への移転、そして別荘地の実家での同居を決意するまで、私も鬱っぽくなりながらもなるべく前向きに熟慮した。
周囲には、父を施設に預けて母だけを私が世話をするのが良いという人々が多かった。
しかし、私には理由は分からないが、私の場合そういう手段を直接とるのは違うと感じた。
今思えばそれが正解だったのだが、その理由は著者たちの言う通りだった。
周囲からのアドバイスを振り返ると、経験のない人はよりネガティブな事態を予感する傾向が強く、やむを得ず親を施設に入れた人はそれを他者にも薦めて自己を合理化する傾向が強い、と感じる。
アドバイスというものは、するにせよされるにせよ、よくよく自己の核心の思いに照らすことが大切だと思う。そうすれば、アドバイスを是々非々で聴けるし、本当に相手のためになる自己欺瞞でないアドバイスをすることができるからだ。
私の場合、気さくな飲み友達のタマチャン(遠藤さん)が、自分にも浜松で一人暮らしする母親との同居話があったがそれ拒んだまま母上を亡くしてしまった経験を打ち明け、後悔の念をしみじみ吐露してくれたことが、私の決断を固めさせた。
「困った親」に向き合うための創造的な態度と意識
「最初の一歩は、責任ある子どもとして、いまの状況が双方向の問題である(太字本文)と認めることです。
親の困った行動にだけ目を向け、自分と親との関係から目をそらすなら、得られるものは何もありません(太字本文)
困った親本人は、自分の周囲にどう見られているか自覚さえしていません。親の目には、たぶん、あなたや周囲の側に問題があると映っているでしょう。
それに、たとえあなたの親が自分のパーソナリティの問題に気づいていたとしても、あたなと親のどちらに変わりたい気持ちが強いでしょう。さらに重要なことに、あなたと親のどちらに変われる能力が高いでしょうか。答えはもちろん、あなたであり、自分の親が生涯にわたって困った性格だったら、なおさらでしょう」
私は、この点、父親の困った性格を直したいとか、変わってもらえると期待したことはない。
私は母の心身の健康の回復と維持のために同居したのであって、そのことを最初に宣言している。
母の心身の負担を減らす一環で、父の支配的操作的な言動パターンが母から心理的ストロークを奪う度合いが苛烈に過ぎる場合にそれを制止して再発を防止する、ということに一番神経を使っている。父の言動パターン自体は、母が妻として受け入れていて離婚や別居の意志のないことを最初に確認したので、それについて息子の私がどうこう言うつもりはなかった。
つまり、本書が対象とする読者は、子供である自身が親との関係に悩んでいる訳だが、私の場合、自身と父との関係に悩んでいない。
父が母を衰弱させる夫婦関係だけを改善しようとしてきた訳で、そこが大きく違う。
もちろん同居して、母のためだけでなく、父の健康や安全を子どもとして気遣い親身になって世話をしている。父がデイセンターで何かあって傷ついて帰ってきた感じの時は気を取り直すようにケアしている。
しかしそれは私がそうしたいからしているだけで、父に支配操作されてやっている訳ではない。そして、父には感謝の言葉を期待していないし、父のご機嫌取りをしているつもりもない。私は父でなくても、横断歩道で遭遇したお年寄りや、施設でひとりぼっちになっているお年寄りを見かけてもするだろうことを自分の親にも当然しているだけなのだ。
ただ微妙な話は、自己中心的な父の方は私の意図をそのようには認識していないことが多く、そこが本書が対象とする「困った親」をもつ読者の経験に重なる、ということだ。
父はいろいろなやり方で母や私を操作して感情労働を迫る。
朝母が起こしてから夜寝かせるまで、父の一挙手一投足はすべて母の支配を前提にした操作と言える。
これは、父が無意識的にしている言動パターンであり、いつも意識で画策している訳ではない。
父としてはじつにストレートな自然な言動のつもりであり、なんで周囲が快く応じないかが不満なのだ。
夫婦間の話は息子の私が一緒に暮らしてやっと察知するほどさらに微妙だ。
母は夫婦としての暗黙の合意なのだろう、じつは父の支配操作の言動パターンを熟知した上で応じていた。だから私は基本的に、父が要求する感情労働が母の心身を損ねるレベルになるまでは、夫婦のことに首をつっこまないことにしている。
父は、自分が無意識的に他者を支配し操作しようとするように、他者も自分に操作チャレンジを常にしかけてきていると感じ、それに対して防衛的であり攻撃的な姿勢を示す。
たとえば私が何かのついでに何気なく、これ食べる? とすすめると食べたい場合でも条件反射的に断ることが多い。人の厚意に素直に応じることが、人が自分を操作しようとするのを受け入れることになると感じるのだ。
すすめると要らないと拒否するが、何もすすめないでいるとあれが欲しいこれが欲しいと言い出す。そして何かが欲しいことが真の目的ではなくて、人を従わせることが深層意識の目的であることは、たとえば、あれ買って来てと言うものが、すでに買って来てあって冷蔵庫にあるよと伝えると、その件はそれで済んでしまうことで分かる。それを食べようともしないのだ。
斑ボケが厄介なのは、さっき母に望んだことを間をおいて母がやろうとすると要らないと拒み、さっき拒んだことを後からあれはどうしたと要求するといった事態だ。もともとの操作的な性格と斑ボケが合わさった悪化の一例だが母は根気よく応じている。この程度のことは母にとっては精神的負担感がない挨拶のようなもので、もはや我慢ではないのだ。
母の我慢が限界を超えるのは、父が母の心を一気になえさせ怒らせる言動をする時である。
象徴的なのが、尻拭いを母にしてもらいながら威張って不条理な文句を言ったり癇癪を起こす時だ。母でなくても誰だって怒る、おそらく父が尻拭いする立場でも怒る筈だ。しかしもともとの自己中心的な性格が斑ボケで悪化した父には、そのような想像力は働かず、母が怒ったことにまた怒りを膨らます。
そういう時、私は仕事中でも現場に急行して父を諌める。父は不承不承そうした言動をやめる。
しかし反省する訳ではない。父の心の中ではそれでも父が正しいのだろう。
こんな諍い含みの老老介護を誰も父を制止する第三者がいないまま5年もやっていれば、母でなくても誰だって鬱にもなるし高血圧にもなるに違いない。
夫婦間の微妙さは息子の私の想像を超えている。私が母の愚痴や父の不平をまともに受け止めるだけなら、私は複雑な現実を見失うことになる。
父がしたいと言うから母が応じたことを父が拒んで、他のことをしたいと言い出す。母は懲りずにこれにも応じるのだが、じつは、母の方は父にこまめに従うという「被支配による逆操作」をしているのだ。
母の父に対する口癖は「〜して上げる」であって、それを連発されると父でなくても恩着せがましい響きを感じる。
父が感情労働を要求する分、母もまけずに暗に感謝という感情労働を要求している訳だ。
これが夫婦間の呼応パターンになっている。
父は私の言動も、母が家にいて起きている間は、この母との呼応パターンの中で捉えている。この間、私のふとした自然な思いやりも、父は私のご機嫌取りなり父への操作チャレンジとして受け止める。
しかし、母が一人自室で睡眠薬を飲んで夜寝て朝起きるまでは、事情が一変するのだ。
夜型の私が父の様子を適宜にうかがって世話をしている。この時、私と父が二人きりの状態となるが、父は異常に素直なのだ。感謝の言葉もおやすみなさいも言う。聞き分けも良く文句も言わない。
それは、父の母がいる時の私への対応とも、母に対する対応とも天と地ほどの違いがある。
昼母は尻拭いまでするのに威張られたり文句を言われ、夜私は尻拭いは父自身にしてもらいその前後を支援しているだけなのだが。
私のこうした夜の体験に照らすと、昼の父は母に甘えているとしか思えない。
これは母が「被支配による逆操作」で父に甘えさせていることで可能になっている訳で、共依存の共犯関係に他ならない。
私が夫婦関係に可能な限り関わりたくないというのは、私までがこの共犯関係に付き合っても誰も幸せにならないからだ。
本書は、著者らのもとに相談にきた「親との膠着した関係に行き詰まってしまったと感じている」人々を読者として対象にしている。
私の場合、自分なりに膠着した父と母の関係を改善することが同居の目的であった。
その目的を達成する過程で父と私の関係が膠着することは何度もあったが、母含めて3者が少しずつ変わったり歩み寄ったためだろう、いまはそれなりのバランスある交流が保たれている。
著者は読者に最初にこう語りかけている。
「もしかするとあなたは、親が変わりさえすればもっと自分を愛してくれるはずだし、自分も親を愛するはずだと信じて、親を変えようと努力をつづける永遠の楽観主義者かもしれません。
あるいは、親が変わる見込みなどないと考え、あきらめて親の言いなりになるか、親との関係を断ちきるかする、永遠の敗北主義者かもしれません」
私は、父は自分で変わろうとするなら変わるだろうし、それを望むなら手伝いもしよう。しかし自分が父を変えられるなんて思ったことは一瞬たりともない。そんな生半可な「困った親」ではないのだ。
しかしだからと言って、父を施設に入れてしまおうとは思わなかったし、諦めて父の言いなりになることもなかった。
ただただ両親との3人暮らしのその日その時を見つめて、気づいたり感じ取ったことを踏まえて工夫したり話し合ってきたのだ。
そして著者の言う通りになった。
「親の問題が理解できれば、もっと思いやりがもてると同時に、親の言動に翻弄されずに自分の人生が歩めるようになります。(太字本文)
ただし、達成する価値のあるあらゆる目標がそうであるように、この目標の達成にも、時間と努力、そして忍耐を必要とすることは忘れないでください」
また著者の言う通りだと思うことがあった。
「何より重要なのは、たとえ具体的にはわからなくても、親の困ったふるまいには何かしら原因があると理解することです。
そう理解できれば、親の困った行動(筆者注:外的真実)は気まぐれでも故意でもなく、そうせずにはいられない(筆者注:内的真実)からだとわかります」
著者はあるクライアントがこんなふうに話したと言う。
「『以前は、友だちが母親(筆者注:私の場合は父親)を愛するようには母を愛していなかったので、自分はおかしいのだと思っていました。
でも、母は生涯、だれにとってもつきあいにくかったのだと気づきました。母はわたしだけでなく、だれにでも文句を言います。だれが何をしても気にいらないんです。
そのように理解できたからといって、前より愛せるわけではないけれど、多くの欠点をもつ人間として受けいれることができました』」
これはうちの家族の場合、ずいぶん昔から共有している認識だった。
むしろ、それがあまりにも当たり前化していたことに問題があったと言えよう。
誤った当たり前に馴染んでしまったために、母は自分の心身を病ませるほどに優しくなりすぎた。私は長い間それに気づかずにいたり、気づいた後は過小評価をしてしまった。
一緒に暮らしてみて初めて皮膚感覚で分かったことは、94歳の父の「人生終末の老い」ということのリアリティであった。
それがじつは長い人生の間、本人の人格の中核にあったものが直接的に露になるということである。
「困った親は、心の安らぎがもてない自分のパーソナリティに苦しめられてきたのかも知れません。
そして歳をとり、加齢とともにだれもが体験する心身の問題が加わったいま、自分自身と自分のパーソナリティにますます苦しんでいるのです」
このことは、「困った親」ではない母の方、父の尻拭いをするまで献身してきた母についても言えることだ。
前記事「共生とは利己的な共通利害を超えて共感能力を利他的に拡張すること(2)」で、
「高齢の夫婦は、二人ともに人生と暮らしに飽きている。
父はしたいことがあってもできなくなり、母はしたいことがなくて。
父はその鬱憤を母や私に我が侭や冷淡で晴らし、母はそんな父の世話をすることでどうにか日々をやり過ごしている。
冷静に振り返ってみれば、いまも日に1度はあるどうでもいい些細なことでの諍いも、夫婦の精神状態が高揚する希少な機会になっているのだ。その程度の諍いであれば、かえっていい刺激になると夫婦は心のどこかで暗黙に了解しているのかも知れない」
と触れた如くだ。
「このような理解にいたれば、あなたの困った親にたいしても違う見方ができるようになるでしょう。怒りが減り、共感が増すはずです。
自分のエネルギーを、親を変えようという無駄な努力から、ありのままの親とつきあう現実的な方法を学ぶという、実りある目標へと振り向けられるようになるはずです」
「支配したがる親」である父への対応を日本型で発想する
私の父は5章の「支配したがる親」に該当する。
その特徴は人を支配するふるまいであり、父に当てはまることを上げるとこうだ。
「◆受動攻撃性の行動を示す。つまり、ぐずぐず先延ばしにするとか、殻にとじこもるといった受動的な態度で、他者への攻撃性を表す」
たとえば父が日に10回以上いくトイレは、便意によるものだが、実際に用が足されるのは半分だ。父を起こしてから寝かせるまでは母がその度に後処理を手伝いに行く訳だが、その半分は実質的に感情労働のみになっている。
トイレを父のシェルターである「殻」にとじこもる行為と捉えれば、それは「受動的な態度で、他者への攻撃性を表す」に相当する。
ちなみに、我が家には昼間テレビの前にいる父が向かう玄関脇の1階トイレと、夜父が自室で寝る自室前の2階トイレがある。夕食を終えて7時のニュースが見終わった後、以前は父が1階トイレを利用していた。その時点で一日の家事と介護に疲れている母は2階自室に上がって寛いでいる。だから父が1階トイレを利用すると母が階段を上り下りして大変だった。いずれ転落事故にもなり兼ねない。そこで、夕食を終えた後のトイレは2階に上がってすれば母も楽だからと父にお願いした。父は半月ほど頑なに抵抗し、好きなようにさせろと癇癪を起こした。しかし根気づよく頼んでどうにか素直に従ってくれるようになった。
その際、父は理屈では母の夕方の疲労と階段の上り下りをさせぬのが思いやりであることが分かるのだが、どうしても従えなかった。
それは意識ではなく、深層心理が不快を感じていたためだ。
父はトイレに頻繁に向かうことで無意識的に自分の支配する時空を構成していた。
この時空を、苫米地英人氏は「臨場感空間」と言い、「リーダーとは、ある臨場感空間をコントロールできる者を指します。あなたがコントロールできる臨場感空間に、人々を引き寄せればいいのです」(「すごいリーダーは『脳』がちがう」)と述べている。
その時空の方に母が応じることで父の母支配は成立している。しかし、母や私に急かされるようにして2階トイレに上がることは、母の行動の方に支配時空を歪めることになる。これを不快と感じたのである。
父が、トイレで尻拭いされながらも母に対して支配者然とふるまえるのも、無意識的に支配時空を味方にしているつもりだからと言える。
私と母で頼み込みに応じて自分から上がるようになって、自分が支配時空を制御している感覚が持てたのだと思う。
似たような男女関係は、おそらく多くの人がしたりされたり経験している筈だ。
デートの時わざとみたいに遅れてく女性がいる。自分の支配時空に男性を取り込もうと無意識的ないし意識的にしている、ということは心理学では常識の部類に属する。遅れてきてそれを注意するとキレてしまうなどは、尻拭いされながら威張る父と同じ図式だ。
「◆無力感や怒りなど、自分の感情を反映させた感情を相手から引き出す」
母は父のこのアプローチを全面的に受け入れてしまった。
かつてはいろいろなことに興味をもって一人遊びをしていた母なのだが、いつの間にか父の世話以外は何もしたくない人間になってしまった。
母自身、納得づくのこととは言え、昔を知る私は切ない気持ちになる。
明るい笑顔を絶やさなかった母は、いまや悲しみと不安の表情をいつもにじませている。
2年前同居をはじめた頃までは、怒りと憎しみの表情だったから当時よりはマシのようだが、私が同居して安心した分、力が抜けたのだろうか、表情に力がなくなったのが気に掛かる。
私は同居して以来、自分自身は影響を受けているとは余まり感じないできた。しかし、久々の出張で家を出た時など、伊豆高原から踊り子号にのったとたんに異常なほどの解放感に満たされることがある。そして東京でたとえば美容師さんと快活に対話していて、そうだ自分はこれほどに溌剌としている人間だったのだと思い出すことがある。
人けのない別荘地で日々、父と母とだけ顔を付き合わせて暮らしている事は、少なからぬ影響があるようだ。
私は、父の「無力感や怒りなど、自分の感情を反映させた感情を相手から引き出す」無意識的な意図を意識してはねつけているのだが、私が同情し常に気遣ってしまう母を経由して伝わってくるマイナスのストロークもあり、それらを打ち払う心理的エネルギーが想像以上に大きいのかも知れない。
そういう無益な心理的エネルギーの使い方は私が中学生までやってきたことであり、当時の負の思いまでが深層心理の中でざわめくということもある。
ただ、こういうことは、それはそういうことだと理解すればそれで心理的な症状には帰結しない。正体が分からぬままそれに振り回されたり、分かっても我慢だけして事態を打開したりネガティブな感情を解消しないと心身を病むことになる。
「◆支配しようとする相手が思いどおりにふるまわない(自分の機嫌をとらないなど)と、腹を立てたり敵意を抱いたりする」
これは、同居当初、父母両方からの不満の言い立てと要求の際限のないオンパレードにあった際、私が対応できないものについて父は癇癪を起こした。
それがまさにこの局地だった。
秘密裏に用意をしておいて、朝突然、どこかへ行きたい、タクシーを呼べと言い出して、それを制すると癇癪を起こすということが度々あった。東京の昔なじみ床屋に純粋に行きたいという気持ちを了解した私は、出張仕事の前日に一緒に上京して中野の床屋に連れて行き、東京駅ホームから午後三時半の踊り子に乗せて見送り、伊豆高原で母が迎えるという方式で5〜6回対応した。シモの心配が高まって父は東京行きを言い出さなくなった。昔なじみの床屋とは麹町にあった床屋で、先代が中野に移転して随分前に亡くなり、今はその息子さんがやっている。彼が自分の知らない父の昔話を聞いてくれることもありがたいし、そうまでして昔話をしたい父も可哀想に思ったが、3000円の床屋に1万円以上使っていくのはやはり我が侭の部類に入る。そんな床屋に「行かせないなら、ただ死ぬのを待てと言うのか!」と癇癪を爆発させたのはやはり尋常ではなかった。
今は、そうした際限のない要望もおさまり、要望が叶えられない時の癇癪も随分と大人しくなった。結局は生理的な衰えが父を抑制している。
今は、母に対して苛烈に過ぎる父を私が急行して諌めることへの腹立ちだけが慢性化しているのかも知れない。
恨まれ役を買うことで父の母の心身を衰弱させる苛烈な言動を抑止できるのであれば、私はそれでいいと思っている。
「◆罪悪感を抱かせたりおだてたりして、他者を操る」
父は、母やデイセンターの人の前で、ことさら頼り無さげな立ち振る舞いをすることがある。
これは無意識的に、積極的な世話をしないことへの罪悪感を抱かせようとするものと思う。
百戦錬磨の女性介護士はすっかりお見通しで、父はそういう介護士を直感的に嫌っているようだ。
母は知っていて知らぬふりで気遣ってみせる。
何事も女性の方が上手を行っていると、変な感心の仕方をしてしまう。
夜私の前では自分でする尻拭いを、昼母にはさせて平気でいるのは、その時ひ弱な自分を演じているためだ。
そしてここでも注意しなければならないのは、父は意識で演じているのではなく、無意識的にそうしている、ということだ。
だから、身体の状態もほんとうにひ弱で頼りない状態にあるのだ。
ここを理解しないで、しっかりしてくださいと厳しく言ったり、演技だと決めつけたりしてはいけない。それでは、鬱やトラウマに悩む人に「それは気にしすぎだ」と言う人間と同じになってしまう。相手の「内的真実」にこそ共感的傾聴はしなければならない。
ただ、夜私の前では実際に尻拭いができているのだから、昼母の前ではそれがうまくできないのは無意識の働きとしか説明できない、と理解をしておいて臨機応変に対応することが大切なのだ。
父の「内的真実」を理解した上で、父への対応という「外的真実」を工夫するということだ。
どのような工夫が最善かは立場と状況によって違う。
母は父に対して前者をそのまま重視している。一方、介護士は前者を踏まえつつ後者を対象に応じたさじ加減で展開して最善を探すのだろう。
年に一度帰国する姉への父の対応は、私に対するものと異なり、おだててお願いする、という方式だ。
父には昔から私と姉を競わせるような物言いがあったのだが、その延長かも知れない。
私は子供の頃からオリジナルな課題を勝手に設定して邁進するタイプで、他者にライバル意識というものをもったことがない。だから私は、父が競争心を煽るかのように姉を褒めることがあっても何も感じないできた。たとえば外国語学習の中でも読み書きが好きな私は、会話ができないことが苦にならない。まず外国人の友達がいないのだ。友達もいないのに会話を勉強するより、NHKの「漢詩紀行」を見ながら漢詩を詠む方が味わい深い。また、個人レッスンで「コンセプト思考術」の論文を中国語訳して楽しんでいる。一事が万事そうした自分流だと、外国語というと話せることを画一的基準にするような、自他を比較するライバル意識とか嫉妬とか優等なり劣等のコンプレックスをもたないで済む。
姉が年に一度帰国する際に、父は姉には効果的と思うのか、おだてておいて不満をもらしお願いするというパターンをとることがある。おだてるのは相手を優等であるとすることであり、不満をもらすのは誰かを劣等であるとすることである。すべてはお願いを受け入れてもらうためのお膳立てだ。
たとえば3年前、鹿児島の墓参りに行きたいとお願いし、姉はキッパリ断っている。
じつは、父ほど信心深くない人もいないのだ。我が家の仏壇に線香を上げて手をあわせるのは私と母でありこの何十年父がするのを見たことがない。
繰り返すが、すべて父が意識的に計算づくでやっているのではなく、長年しみついた性格、他者を支配し操作する言動パターンを無意識的に展開しているのである。
母は家事と父の世話でそれなりのリズムをもって生活しているが、父は日々の暮らしにおいて間が持てなくなっている。
間が持てず暇をもてあまし、それでいて気さくに対等かつ誠実に人と関われない人間は、年寄りでなくても周囲の人間を困惑させる事をしたり言い出すものである。
意識で物事を考えて言葉を発してはいるが、その言動パターンを仕向けているのは無意識である。高齢でも何かしらの社会参加をしていたり、誰に見せるでもなく自分らしさを確認できる一人遊びが一つでもあったりすれば、たとえ斑ボケでも無意識の言動パターンを多少は抑制したり修正したりできるのかも知れない。
しかし、父には「内なる自己」の「内的真実」をそのまま「外なる自己」の「外的真実」として放出する形の無意識的な言動パターンだけがあって、それに対するコントロールが内側からはまったく効かなくなっている。
これが、周囲の者がそのまま受け止めなければならない父の現実なのだ。
私は具体的に、日々の生活において父の間が持てるようにすることが、父自身にも母にも最善であると捉えている。
そこで、とにかく父の気に入りそうな映画を毎日見せることにしている。
いまや父が家でするのは、睡眠と食事とトイレと入浴の他はテレビモニターに見入ることだけで、その条件でできることは限られている。
著者はこう解説する。
「いろいろな手を使って自己像を高めようとする自己中心的な親(筆者注:前章)(中略)、彼らには自分が抑えられません。他者を支配し、操ろうとする欲求は意識的なものではありません。
彼らは内心、自分の世話をされないのではないか、置き去りにされ、無力のまま、ひとりで生きていけないのではないかと恐れています。(太線本文)
たいてい、幼少期の心的外傷(トラウマ)か、母子の分離がうまく果たされなかったせいで、彼らにとってはこの基本的な不安が現実なのです。そしてそれは一生ついてまわります」
私も、父の支配的操作的な言動パターンには、幼少期に母親を亡くしたことが、以来、継母を嫌って商業高校卒業と同時に佐世保から東京に出て苦労したことなど含めて関係していると思う。
そしてさらに私は、父の無意識はそんな自分の「子供の心の育て直し」をしようとしているのではないかと思うようになった。
心理学的に確かにそう言い切れるとは思わないが、そう思うことで、父への接し方が私自身にも有意義になる。
私は、自身が子供の時に親にこうされたかったということを、今子供じみてしまった父や母に実践していて、彼らにそれを受け入れられることで、私の「子供の心の育て直し」がなされているような、癒される気持ちになるのだ。
そうした私の本意を、父の意識は自分に対する感情労働と捉えてしまうのかも知れない。しかし、もし父の無意識が自分の「子供の心の育て直し」を望んでいるのであれば、やがて私の本意を本意として徐々に汲み取るようになるのではないか。
それは、私が父を変えようという意志ではない。変えたいという期待でもない。
私が変わる時、共時性が働いて父も変わるかも知れない、そうしたら素敵だろうという情緒だ。
こうした私の思い方は、本書で著者たちが主張していない私オリジナルの方法論である。
私は意識しなかったが、著者たちがアメリカ人でありアメリカの家族文化を前提にしていて自分たちの家族のことを考えているのに対して、私が日本人であり日本の家族文化を前提にして自分の家族のことを思っている、その差異が生み出す発想かも知れない。
彼らの考え方は因果律だけを一貫させている。
私の思い方は、それを踏まえた上で、これも何かの縁だと縁起を捉え、
父に起っていることと私に起っていることとに共時性を捉えようとしている。
私は、父への対応を「縁起にのっとった<情>起点の発想思考を特徴とする日本型」で発想している。
本論は、これにて終わりにする。
いずれ本書を、「うちの経営者には困ったものだ」に読み替えて、会社が歪めた社会化ステップを社員に歩ませてその勝ち残りが「困った親」ならぬ「困った経営者」になる、ということを分析してみたい。
その時、単に「困った親」を批判するのではなく、包み込むアプローチが可能であるように、「困った経営者」に対してもそうしたアプローチを工夫してみたい。
私は、人材育成分野の仕事にたまたま首をつっこんだ門外漢のせいか、当初からずうっと、
一番必要なのは社員の研修ではなくて経営者の研修だと思ってきた。
その次に必要なのが、経営者になろうとする者の研修だが、それは経営者の研修が有意義な形で実を結んでそれをバックアップする約束をもらえないと、経営戦略上の有効性を持てない筈だ。
つまり、こと研修に関して、新入社員研修からの「下から上への積み上げ方式」が既存パラダイムだが、経営者研修からの「上から下へのブレイクダウン方式」へのパラダイム転換が必要なのだ。
そして経営者研修は、「困った経営者」になっていないかの自己確認と、なっている場合の自己改革を課題とする。
これができれば、経営改革はもっとも俊敏に達成される筈だと思うが、いかがだろうか。
いずれ、著者たちがカテゴライズした「困った親」をヒントにそれに重なる「困った経営者」の言動パターンと、どうしてそんな「困った経営者」を生んでしまったのか、その防止策や対応策を検討したい。
このアナロジーに興味をもった方は、是非本書を買って、先にご自身で自社のことを思いながら検討してください。私の稿を改めての検討は予定にして未定です。