「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(2) |
2012年 02月 02日 |
「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「巻頭コラム 江戸の社会と司法」についてのメモでございます。
江戸の社会と司法の様相に現代の企業社会を照らす
「武士の地位・役職は、基本的に世襲されるものでございました。(中略)
[大名][旗本][御家人]と家格によって就ける役職も決まっておりました。
ただし、江戸後期には、技能の必要な役職では[一代限り]として、家格に関係なく抜擢されたり、養子に入って世襲することが行われました。(ただし、旗本以上の家には親類以外からの縁組みは禁じられておりました。)」
私は以上のことをざっくりとこう捉えている。
江戸中期までは、集団を身内で固める「家康志向」でやってこれたのが、世襲制は実力主義ではないからいろいろな不合理や不祥事が生じてきて、江戸後期には限界が来る。
そこで例外的に、抜擢、つまり自由に活動している個々で集団を構成する「信長志向」も合わせ技するようになった、と。
たとえば、百姓の長男だった二宮金次郎が、武家奉公人をして奉公先の小田原藩家老に才を買われて家老家の財政建て直しを成功させ、小田原藩分家の知行所であった下野国桜町領の仕法を任せられ、後に天領の経営を行い成果を上げた出世話はその典型だ。
幕末にかけて江戸幕府が薩摩藩など外様大名の意見も取り入れるようになったのも、譜代大名ばかりを尊重していた「家康志向」に「信長志向」も合わせ技するようになった、と解釈できる。
それでも列強迫る混乱の日本となり、その収拾をつけたのは、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」の海軍操練所や亀山社中を展開した勝海舟や坂本龍馬だった。
ちなみに戦後からバブル期までの日本型経営は、「家康志向」をベースとしながら「信長志向」も適宜に活用する合わせ技の知識経営だった。
社内的には、事業部門を横断した人選によるプロジェクトを多発させた。
対外的には、ハブ型キーマンのミドルによる異業界異業種との恊働や外部ブレインの活用、臨機応変な社内外恊働プロジェクトの推進といったことが、日常業務の集団独創として活発に展開した。
今のように「家康志向」が一辺倒化したのは、バブル崩壊後の平成不況において、日本型経営が短絡的に全否定され、就労環境が厳しくなるとともに非正規社員の差別や排除が進んでからだ。官僚体制が「家康志向」の権化だが、企業社会も内向き閉鎖的、自己保身的になって組織や人材が官僚体質化したと言えよう。
バブル崩壊と冷戦終結が重なりアメリカ一国主義と同時にアメリカ型のグローバリズムが台頭した。これに応じて、日本のほとんどの企業が日本型経営を短絡的に全否定し、組織制度の機械論化と人材の機械部品化をともなうフラット化を行った。組織や人材の官僚体質化はこれと並行した。
声高に叫ばれた事業部門の横断連携や、社員の誰もがもつべきとされた全体最適を求める企業家精神を影を潜めて事業部門分断経営が進み、好業績部門が経営実権を握り不採算部門を切り捨てるリストラが敢行されるようになった。
長引く不況下むしろ世界的に成長した企業や成長局面*もあったが、それは総じてこうした一般的な企業動向への短絡的な右へ倣いをせずに、日本型経営の短所を払拭し長所を現代化・国際化した優良企業ないし優良時期*だった。(*ソニーショックまでのソニーの成長など。)
トヨタはカイゼン運動を外国人工員にも展開普及した。セブンイレブンやイトーヨーカ堂はパートやアルバイトをも戦力として取り込んだなど、全てそれぞれに独自なやり方で「信長志向」を合わせ技した企業であったことは偶然ではない。
(参照:「ニトリに見る『家康志向』と『信長志向』の合わせ技経営の現代化・国際化
(4:結論)」
http://cds190.exblog.jp/16004386/
「『家康志向の改善』と『信長志向の革新』、その合わせ技の知識経営(3)」
http://cds190.exblog.jp/10117046/ )
戦前、軍部主導の官僚体制と大政翼賛体制が「家康志向」一辺倒化をして、戦線を拡大し多大な国民の犠牲を払って敗戦。
これによって戦後は、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」が活発化する。後に世界企業に成長するホンダ、ソニー、京セラなどなどの創業である。
そして高度成長期からバブル崩壊にむけて日本型経営が成熟化していく。いろいろ不合理を指摘される日本型経営だが、オイルショックやドルショックを乗り越えて就労者の働きがいを高めその家族を豊かに生活させたのだから、時代に適合していたと言うべきだろう。
そしてバブル崩壊後、前述のような日本型経営の短絡的な全否定と、それまで合わせ技が一般的だった「信長志向」の排除が進んだ。
以上の歴史をハイパーテキスト的に捉えれば、こういう見方ができる。
焼け野原からの復興、オイルショック、ドルショックという激動を乗り越えた時期は、江戸時代で言えばショックということと「信長志向」の活躍という点から幕末に相当する。
バブル崩壊後の長引く不況や組織の硬直化や社会の膠着状況において有効な手立てを打てなかった時期は、バブル崩壊以外は昨年の3.11まで特段のショックはなかったことと「信長志向」が排除されてきた点から、江戸時代で言えば江戸中期以前に相当する。
つまり、幕末→江戸中期と逆戻りしている。
そして昨年の3.11以降、復興は遅々として進まず、放射能汚染は垂れ流し状態が続いている今現在は、その混沌という点から、まだ幕藩体制が確固としていない江戸初期に相当する。
さらに地勢学的には、西から東に重心が移動した江戸時代に対して、今は東から西に重心が移動しつつあるのかも知れない。大阪維新の会なるものが勢い盛んで大阪都・第二首都なる言葉も飛び交うようになった。
中世までは「家康志向」よりも「信長志向」が、武家だけでなく公家と寺社勢力含めて旺盛だった。これを信長が大航海時代を背景に総括して体制秩序化しつつあったのが短命にして果たせなかった。
歴史的にパターンが逆戻りしているとすれば、今後は、企業社会だけではなく、社会全体において「信長志向」が多様な有志によって盛り上がってくる中世的な様相になるのではないか、と私個人は予感する。橋下元大阪府知事と平松大阪市長の選挙戦が、信長対信長包囲網の戦いのように見えてそう感じた。
「家康志向」は、定住民重視の農本主義で、
「信長志向」は、移動民・転住民重視の交易主義だ。
ちなみに、NHK大河ドラマでやっている平清盛は、後者の系譜の元祖で、それが鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利義満そして信長政権に至ろうとしていた。
私は若い頃からずうっと「企業社会の人間関係が良くなれば、学校社会も官僚社会も地域社会も良くなる」と考えてきた。今もそのように考えはする。
しかし、時代を変える「信長志向」の有志というものはいつの時代も少数派だ。
そして、企業社会も学校社会も地域社会もみな官僚社会のように「家康志向」一辺倒化している今の現実は、ただ頑張れば何かが達成できるといった容易い状況には決してない。
企業社会の「信長志向」の有志少数派はどうすればいいか。
思うに、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「信長志向」の有志少数派と連帯して恊働していくしかない。
つまり、海舟や龍馬が◯◯藩の垣根をこえた行動パターンを、◯◯社会の垣根をこえた行動パターンに置き換えて展開していくしかないと思う。
私の関連する領域では、「フューチャーセンター」や「U理論」が盛り上がっている。
どちらかというと「社内改革派」を自負する人々が多いように感じる。
しかし世の中が良くなる変革の求めに急いで応じるべき時節には、「社内改革派」よりむしろ「社会改革派」が応じるべきである。
そして「社会改革派」が企業や業界の垣根をこえるだけでなく、企業社会の垣根もこえて、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「社会改革派」が連帯し恊働することで、できる変革はさらに有意義かつ多様に具体的になっていくと思う。
そうしたアプローチや実践が一般的なビジネスパーソンの中から生まれてくれば、社会全体の様相は、まさに公家・武家・寺社の勢力錯綜から、清盛から信長までの移動民・転住民重視の交易主義の系譜が出現してきたような中世的様相になっていく。
ここで移動民・転住民重視とは、現代では知識領域を移動したり社会領域を転移するという意味であり、交易主義とはそうした上で知識や情報、機会や関係の交換を基軸にするということである。
話題が論題から逸脱しているように思われるかも知れないが、じつは、本論は企業社会の「社会改革派」の隠れ「信長志向」者に向けて発信している。
だからまず隠れ「信長志向」者に、ご自身の位置づけと連帯の必要性と方向性を確認してもらうことが必要だった。
次に「家康志向」一辺倒化した現在の企業社会とは、官僚体質化というよりも、じつは人間関係的にはまさに江戸社会化している、ということを指摘しておきたい。
官僚は明治になって生まれているのであって、それは江戸時代の役人の名残を持っていた。日本人が官僚的と感じる様相の中にはむしろ江戸社会的というべきものが多く含まれている。
また前項(1)で指摘したように、日本企業の人間関係は、アメリカの企業のそれよりも、江戸の「お店(たな)」のそれの方に近しい、ということもある。
話の大枠を先に整理するとこういうことだ。
労働には、肉体労働や頭脳労働とならんで感情労働があり、現実にはその3者が多様に複合した労働を私たちはしている。企業におけるさまざまな就労者の労働も同じだ。
で、たとえば日本型経営の強みとして野中郁次郎氏が指摘したミドル・アップダウン・マネジメントの「トップのセマンティック・カタリシス→ミドルのナレッジワーカー→ロワーのエキスパート」という知識創造階層は上下関係ではないと氏が指摘するように、あくまで頭脳労働の枠組みである。
つまり、感情労働の有り方は捨象されているのだ。
このことは、トップが直接的にラインなりスタッフなりにつながるフラットな機械論的な組織像についても言える。
ところが誰もが経験して知っているように、実際の日本人の組織は、企業社会・学校社会・地域社会・官僚社会ともに、感情労働の相互関係が重大にあって、これがうまく働かなければうまく動かない。
このことは、日本型経営を全否定したつもりの企業も同じである。さらに、まったく新しく若い世代が最近立ち上げたベンチャー企業でさえ多くの日本人就労者が勤めるようになれば同じになる。
私は、この感情労働の人間関係の大枠が、まさに江戸社会のそれを色濃く残存させている、と思うのだ。
私がこのグローバルな世の中のITCが盛んな会社の話と、江戸社会の話を混ぜこぜにしてするのはそのために他ならない。
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江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「巻頭コラム 江戸の社会と司法」についてのメモでございます。
江戸の社会と司法の様相に現代の企業社会を照らす
「武士の地位・役職は、基本的に世襲されるものでございました。(中略)
[大名][旗本][御家人]と家格によって就ける役職も決まっておりました。
ただし、江戸後期には、技能の必要な役職では[一代限り]として、家格に関係なく抜擢されたり、養子に入って世襲することが行われました。(ただし、旗本以上の家には親類以外からの縁組みは禁じられておりました。)」
私は以上のことをざっくりとこう捉えている。
江戸中期までは、集団を身内で固める「家康志向」でやってこれたのが、世襲制は実力主義ではないからいろいろな不合理や不祥事が生じてきて、江戸後期には限界が来る。
そこで例外的に、抜擢、つまり自由に活動している個々で集団を構成する「信長志向」も合わせ技するようになった、と。
たとえば、百姓の長男だった二宮金次郎が、武家奉公人をして奉公先の小田原藩家老に才を買われて家老家の財政建て直しを成功させ、小田原藩分家の知行所であった下野国桜町領の仕法を任せられ、後に天領の経営を行い成果を上げた出世話はその典型だ。
幕末にかけて江戸幕府が薩摩藩など外様大名の意見も取り入れるようになったのも、譜代大名ばかりを尊重していた「家康志向」に「信長志向」も合わせ技するようになった、と解釈できる。
それでも列強迫る混乱の日本となり、その収拾をつけたのは、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」の海軍操練所や亀山社中を展開した勝海舟や坂本龍馬だった。
ちなみに戦後からバブル期までの日本型経営は、「家康志向」をベースとしながら「信長志向」も適宜に活用する合わせ技の知識経営だった。
社内的には、事業部門を横断した人選によるプロジェクトを多発させた。
対外的には、ハブ型キーマンのミドルによる異業界異業種との恊働や外部ブレインの活用、臨機応変な社内外恊働プロジェクトの推進といったことが、日常業務の集団独創として活発に展開した。
今のように「家康志向」が一辺倒化したのは、バブル崩壊後の平成不況において、日本型経営が短絡的に全否定され、就労環境が厳しくなるとともに非正規社員の差別や排除が進んでからだ。官僚体制が「家康志向」の権化だが、企業社会も内向き閉鎖的、自己保身的になって組織や人材が官僚体質化したと言えよう。
バブル崩壊と冷戦終結が重なりアメリカ一国主義と同時にアメリカ型のグローバリズムが台頭した。これに応じて、日本のほとんどの企業が日本型経営を短絡的に全否定し、組織制度の機械論化と人材の機械部品化をともなうフラット化を行った。組織や人材の官僚体質化はこれと並行した。
声高に叫ばれた事業部門の横断連携や、社員の誰もがもつべきとされた全体最適を求める企業家精神を影を潜めて事業部門分断経営が進み、好業績部門が経営実権を握り不採算部門を切り捨てるリストラが敢行されるようになった。
長引く不況下むしろ世界的に成長した企業や成長局面*もあったが、それは総じてこうした一般的な企業動向への短絡的な右へ倣いをせずに、日本型経営の短所を払拭し長所を現代化・国際化した優良企業ないし優良時期*だった。(*ソニーショックまでのソニーの成長など。)
トヨタはカイゼン運動を外国人工員にも展開普及した。セブンイレブンやイトーヨーカ堂はパートやアルバイトをも戦力として取り込んだなど、全てそれぞれに独自なやり方で「信長志向」を合わせ技した企業であったことは偶然ではない。
(参照:「ニトリに見る『家康志向』と『信長志向』の合わせ技経営の現代化・国際化
(4:結論)」
http://cds190.exblog.jp/16004386/
「『家康志向の改善』と『信長志向の革新』、その合わせ技の知識経営(3)」
http://cds190.exblog.jp/10117046/ )
戦前、軍部主導の官僚体制と大政翼賛体制が「家康志向」一辺倒化をして、戦線を拡大し多大な国民の犠牲を払って敗戦。
これによって戦後は、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」が活発化する。後に世界企業に成長するホンダ、ソニー、京セラなどなどの創業である。
そして高度成長期からバブル崩壊にむけて日本型経営が成熟化していく。いろいろ不合理を指摘される日本型経営だが、オイルショックやドルショックを乗り越えて就労者の働きがいを高めその家族を豊かに生活させたのだから、時代に適合していたと言うべきだろう。
そしてバブル崩壊後、前述のような日本型経営の短絡的な全否定と、それまで合わせ技が一般的だった「信長志向」の排除が進んだ。
以上の歴史をハイパーテキスト的に捉えれば、こういう見方ができる。
焼け野原からの復興、オイルショック、ドルショックという激動を乗り越えた時期は、江戸時代で言えばショックということと「信長志向」の活躍という点から幕末に相当する。
バブル崩壊後の長引く不況や組織の硬直化や社会の膠着状況において有効な手立てを打てなかった時期は、バブル崩壊以外は昨年の3.11まで特段のショックはなかったことと「信長志向」が排除されてきた点から、江戸時代で言えば江戸中期以前に相当する。
つまり、幕末→江戸中期と逆戻りしている。
そして昨年の3.11以降、復興は遅々として進まず、放射能汚染は垂れ流し状態が続いている今現在は、その混沌という点から、まだ幕藩体制が確固としていない江戸初期に相当する。
さらに地勢学的には、西から東に重心が移動した江戸時代に対して、今は東から西に重心が移動しつつあるのかも知れない。大阪維新の会なるものが勢い盛んで大阪都・第二首都なる言葉も飛び交うようになった。
中世までは「家康志向」よりも「信長志向」が、武家だけでなく公家と寺社勢力含めて旺盛だった。これを信長が大航海時代を背景に総括して体制秩序化しつつあったのが短命にして果たせなかった。
歴史的にパターンが逆戻りしているとすれば、今後は、企業社会だけではなく、社会全体において「信長志向」が多様な有志によって盛り上がってくる中世的な様相になるのではないか、と私個人は予感する。橋下元大阪府知事と平松大阪市長の選挙戦が、信長対信長包囲網の戦いのように見えてそう感じた。
「家康志向」は、定住民重視の農本主義で、
「信長志向」は、移動民・転住民重視の交易主義だ。
ちなみに、NHK大河ドラマでやっている平清盛は、後者の系譜の元祖で、それが鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利義満そして信長政権に至ろうとしていた。
私は若い頃からずうっと「企業社会の人間関係が良くなれば、学校社会も官僚社会も地域社会も良くなる」と考えてきた。今もそのように考えはする。
しかし、時代を変える「信長志向」の有志というものはいつの時代も少数派だ。
そして、企業社会も学校社会も地域社会もみな官僚社会のように「家康志向」一辺倒化している今の現実は、ただ頑張れば何かが達成できるといった容易い状況には決してない。
企業社会の「信長志向」の有志少数派はどうすればいいか。
思うに、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「信長志向」の有志少数派と連帯して恊働していくしかない。
つまり、海舟や龍馬が◯◯藩の垣根をこえた行動パターンを、◯◯社会の垣根をこえた行動パターンに置き換えて展開していくしかないと思う。
私の関連する領域では、「フューチャーセンター」や「U理論」が盛り上がっている。
どちらかというと「社内改革派」を自負する人々が多いように感じる。
しかし世の中が良くなる変革の求めに急いで応じるべき時節には、「社内改革派」よりむしろ「社会改革派」が応じるべきである。
そして「社会改革派」が企業や業界の垣根をこえるだけでなく、企業社会の垣根もこえて、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「社会改革派」が連帯し恊働することで、できる変革はさらに有意義かつ多様に具体的になっていくと思う。
そうしたアプローチや実践が一般的なビジネスパーソンの中から生まれてくれば、社会全体の様相は、まさに公家・武家・寺社の勢力錯綜から、清盛から信長までの移動民・転住民重視の交易主義の系譜が出現してきたような中世的様相になっていく。
ここで移動民・転住民重視とは、現代では知識領域を移動したり社会領域を転移するという意味であり、交易主義とはそうした上で知識や情報、機会や関係の交換を基軸にするということである。
話題が論題から逸脱しているように思われるかも知れないが、じつは、本論は企業社会の「社会改革派」の隠れ「信長志向」者に向けて発信している。
だからまず隠れ「信長志向」者に、ご自身の位置づけと連帯の必要性と方向性を確認してもらうことが必要だった。
次に「家康志向」一辺倒化した現在の企業社会とは、官僚体質化というよりも、じつは人間関係的にはまさに江戸社会化している、ということを指摘しておきたい。
官僚は明治になって生まれているのであって、それは江戸時代の役人の名残を持っていた。日本人が官僚的と感じる様相の中にはむしろ江戸社会的というべきものが多く含まれている。
また前項(1)で指摘したように、日本企業の人間関係は、アメリカの企業のそれよりも、江戸の「お店(たな)」のそれの方に近しい、ということもある。
話の大枠を先に整理するとこういうことだ。
労働には、肉体労働や頭脳労働とならんで感情労働があり、現実にはその3者が多様に複合した労働を私たちはしている。企業におけるさまざまな就労者の労働も同じだ。
で、たとえば日本型経営の強みとして野中郁次郎氏が指摘したミドル・アップダウン・マネジメントの「トップのセマンティック・カタリシス→ミドルのナレッジワーカー→ロワーのエキスパート」という知識創造階層は上下関係ではないと氏が指摘するように、あくまで頭脳労働の枠組みである。
つまり、感情労働の有り方は捨象されているのだ。
このことは、トップが直接的にラインなりスタッフなりにつながるフラットな機械論的な組織像についても言える。
ところが誰もが経験して知っているように、実際の日本人の組織は、企業社会・学校社会・地域社会・官僚社会ともに、感情労働の相互関係が重大にあって、これがうまく働かなければうまく動かない。
このことは、日本型経営を全否定したつもりの企業も同じである。さらに、まったく新しく若い世代が最近立ち上げたベンチャー企業でさえ多くの日本人就労者が勤めるようになれば同じになる。
私は、この感情労働の人間関係の大枠が、まさに江戸社会のそれを色濃く残存させている、と思うのだ。
私がこのグローバルな世の中のITCが盛んな会社の話と、江戸社会の話を混ぜこぜにしてするのはそのために他ならない。
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# by cds190 | 2012-02-02 14:09 | 文化力発想な世間話 ■■


