IE9ピン留め

「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(2)  

2012年 02月 02日
「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「巻頭コラム 江戸の社会と司法」についてのメモでございます。




江戸の社会と司法の様相に現代の企業社会を照らす



「武士の地位・役職は、基本的に世襲されるものでございました。(中略)
 [大名][旗本][御家人]と家格によって就ける役職も決まっておりました。

 ただし、江戸後期には、技能の必要な役職では[一代限り]として、家格に関係なく抜擢されたり、養子に入って世襲することが行われました。(ただし、旗本以上の家には親類以外からの縁組みは禁じられておりました。)」

 私は以上のことをざっくりとこう捉えている。
 江戸中期までは、集団を身内で固める「家康志向」でやってこれたのが、世襲制は実力主義ではないからいろいろな不合理や不祥事が生じてきて、江戸後期には限界が来る。
 そこで例外的に、抜擢、つまり自由に活動している個々で集団を構成する「信長志向」も合わせ技するようになった、と。
 たとえば、百姓の長男だった二宮金次郎が、武家奉公人をして奉公先の小田原藩家老に才を買われて家老家の財政建て直しを成功させ、小田原藩分家の知行所であった下野国桜町領の仕法を任せられ、後に天領の経営を行い成果を上げた出世話はその典型だ。
 
 幕末にかけて江戸幕府が薩摩藩など外様大名の意見も取り入れるようになったのも、譜代大名ばかりを尊重していた「家康志向」に「信長志向」も合わせ技するようになった、と解釈できる。

 それでも列強迫る混乱の日本となり、その収拾をつけたのは、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」の海軍操練所や亀山社中を展開した勝海舟や坂本龍馬だった。


 ちなみに戦後からバブル期までの日本型経営は、「家康志向」をベースとしながら「信長志向」も適宜に活用する合わせ技の知識経営だった。
 社内的には、事業部門を横断した人選によるプロジェクトを多発させた。
 対外的には、ハブ型キーマンのミドルによる異業界異業種との恊働や外部ブレインの活用、臨機応変な社内外恊働プロジェクトの推進といったことが、日常業務の集団独創として活発に展開した。

 今のように「家康志向」が一辺倒化したのは、バブル崩壊後の平成不況において、日本型経営が短絡的に全否定され、就労環境が厳しくなるとともに非正規社員の差別や排除が進んでからだ。官僚体制が「家康志向」の権化だが、企業社会も内向き閉鎖的、自己保身的になって組織や人材が官僚体質化したと言えよう。
 バブル崩壊と冷戦終結が重なりアメリカ一国主義と同時にアメリカ型のグローバリズムが台頭した。これに応じて、日本のほとんどの企業が日本型経営を短絡的に全否定し、組織制度の機械論化と人材の機械部品化をともなうフラット化を行った。組織や人材の官僚体質化はこれと並行した。
 声高に叫ばれた事業部門の横断連携や、社員の誰もがもつべきとされた全体最適を求める企業家精神を影を潜めて事業部門分断経営が進み、好業績部門が経営実権を握り不採算部門を切り捨てるリストラが敢行されるようになった。
 長引く不況下むしろ世界的に成長した企業や成長局面*もあったが、それは総じてこうした一般的な企業動向への短絡的な右へ倣いをせずに、日本型経営の短所を払拭し長所を現代化・国際化した優良企業ないし優良時期*だった。(*ソニーショックまでのソニーの成長など。)
 トヨタはカイゼン運動を外国人工員にも展開普及した。セブンイレブンやイトーヨーカ堂はパートやアルバイトをも戦力として取り込んだなど、全てそれぞれに独自なやり方で「信長志向」を合わせ技した企業であったことは偶然ではない。
 (参照:「ニトリに見る『家康志向』と『信長志向』の合わせ技経営の現代化・国際化
       (4:結論)」
      http://cds190.exblog.jp/16004386/
     「『家康志向の改善』と『信長志向の革新』、その合わせ技の知識経営(3)」
      http://cds190.exblog.jp/10117046/

 
 戦前、軍部主導の官僚体制と大政翼賛体制が「家康志向」一辺倒化をして、戦線を拡大し多大な国民の犠牲を払って敗戦。
 これによって戦後は、自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」が活発化する。後に世界企業に成長するホンダ、ソニー、京セラなどなどの創業である。
 そして高度成長期からバブル崩壊にむけて日本型経営が成熟化していく。いろいろ不合理を指摘される日本型経営だが、オイルショックやドルショックを乗り越えて就労者の働きがいを高めその家族を豊かに生活させたのだから、時代に適合していたと言うべきだろう。
 そしてバブル崩壊後、前述のような日本型経営の短絡的な全否定と、それまで合わせ技が一般的だった「信長志向」の排除が進んだ。

 以上の歴史をハイパーテキスト的に捉えれば、こういう見方ができる。

 焼け野原からの復興、オイルショック、ドルショックという激動を乗り越えた時期は、江戸時代で言えばショックということと「信長志向」の活躍という点から幕末に相当する。
 バブル崩壊後の長引く不況や組織の硬直化や社会の膠着状況において有効な手立てを打てなかった時期は、バブル崩壊以外は昨年の3.11まで特段のショックはなかったことと「信長志向」が排除されてきた点から、江戸時代で言えば江戸中期以前に相当する。
 つまり、幕末→江戸中期と逆戻りしている。
 そして昨年の3.11以降、復興は遅々として進まず、放射能汚染は垂れ流し状態が続いている今現在は、その混沌という点から、まだ幕藩体制が確固としていない江戸初期に相当する。

 さらに地勢学的には、西から東に重心が移動した江戸時代に対して、今は東から西に重心が移動しつつあるのかも知れない。大阪維新の会なるものが勢い盛んで大阪都・第二首都なる言葉も飛び交うようになった。
 中世までは「家康志向」よりも「信長志向」が、武家だけでなく公家と寺社勢力含めて旺盛だった。これを信長が大航海時代を背景に総括して体制秩序化しつつあったのが短命にして果たせなかった。
 歴史的にパターンが逆戻りしているとすれば、今後は、企業社会だけではなく、社会全体において「信長志向」が多様な有志によって盛り上がってくる中世的な様相になるのではないか、と私個人は予感する。橋下元大阪府知事と平松大阪市長の選挙戦が、信長対信長包囲網の戦いのように見えてそう感じた。

 「家康志向」は、定住民重視の農本主義で、
 「信長志向」は、移動民・転住民重視の交易主義だ。
 ちなみに、NHK大河ドラマでやっている平清盛は、後者の系譜の元祖で、それが鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利義満そして信長政権に至ろうとしていた。


 私は若い頃からずうっと「企業社会の人間関係が良くなれば、学校社会も官僚社会も地域社会も良くなる」と考えてきた。今もそのように考えはする。
 しかし、時代を変える「信長志向」の有志というものはいつの時代も少数派だ。
 そして、企業社会も学校社会も地域社会もみな官僚社会のように「家康志向」一辺倒化している今の現実は、ただ頑張れば何かが達成できるといった容易い状況には決してない。

 企業社会の「信長志向」の有志少数派はどうすればいいか。
 思うに、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「信長志向」の有志少数派と連帯して恊働していくしかない。
 つまり、海舟や龍馬が◯◯藩の垣根をこえた行動パターンを、◯◯社会の垣根をこえた行動パターンに置き換えて展開していくしかないと思う。
 
 私の関連する領域では、「フューチャーセンター」や「U理論」が盛り上がっている。
 どちらかというと「社内改革派」を自負する人々が多いように感じる。
 しかし世の中が良くなる変革の求めに急いで応じるべき時節には、「社内改革派」よりむしろ「社会改革派」が応じるべきである。
 そして「社会改革派」が企業や業界の垣根をこえるだけでなく、企業社会の垣根もこえて、学校社会や地域社会や官僚社会にもいるだろう「社会改革派」が連帯し恊働することで、できる変革はさらに有意義かつ多様に具体的になっていくと思う。

 そうしたアプローチや実践が一般的なビジネスパーソンの中から生まれてくれば、社会全体の様相は、まさに公家・武家・寺社の勢力錯綜から、清盛から信長までの移動民・転住民重視の交易主義の系譜が出現してきたような中世的様相になっていく。
 ここで移動民・転住民重視とは、現代では知識領域を移動したり社会領域を転移するという意味であり、交易主義とはそうした上で知識や情報、機会や関係の交換を基軸にするということである。
 


 話題が論題から逸脱しているように思われるかも知れないが、じつは、本論は企業社会の「社会改革派」の隠れ「信長志向」者に向けて発信している。
 だからまず隠れ「信長志向」者に、ご自身の位置づけと連帯の必要性と方向性を確認してもらうことが必要だった。

 次に「家康志向」一辺倒化した現在の企業社会とは、官僚体質化というよりも、じつは人間関係的にはまさに江戸社会化している、ということを指摘しておきたい。
 官僚は明治になって生まれているのであって、それは江戸時代の役人の名残を持っていた。日本人が官僚的と感じる様相の中にはむしろ江戸社会的というべきものが多く含まれている。
 また前項(1)で指摘したように、日本企業の人間関係は、アメリカの企業のそれよりも、江戸の「お店(たな)」のそれの方に近しい、ということもある。

 話の大枠を先に整理するとこういうことだ。
 労働には、肉体労働や頭脳労働とならんで感情労働があり、現実にはその3者が多様に複合した労働を私たちはしている。企業におけるさまざまな就労者の労働も同じだ。
 で、たとえば日本型経営の強みとして野中郁次郎氏が指摘したミドル・アップダウン・マネジメントの「トップのセマンティック・カタリシス→ミドルのナレッジワーカー→ロワーのエキスパート」という知識創造階層は上下関係ではないと氏が指摘するように、あくまで頭脳労働の枠組みである。
 つまり、感情労働の有り方は捨象されているのだ。
 このことは、トップが直接的にラインなりスタッフなりにつながるフラットな機械論的な組織像についても言える。
 ところが誰もが経験して知っているように、実際の日本人の組織は、企業社会・学校社会・地域社会・官僚社会ともに、感情労働の相互関係が重大にあって、これがうまく働かなければうまく動かない。
 このことは、日本型経営を全否定したつもりの企業も同じである。さらに、まったく新しく若い世代が最近立ち上げたベンチャー企業でさえ多くの日本人就労者が勤めるようになれば同じになる。
 私は、この感情労働の人間関係の大枠が、まさに江戸社会のそれを色濃く残存させている、と思うのだ。
 私がこのグローバルな世の中のITCが盛んな会社の話と、江戸社会の話を混ぜこぜにしてするのはそのために他ならない。




More

# by cds190 | 2012-02-02 14:09 | 文化力発想な世間話 ■■

「江戸の用語辞典」を読んで気づくこと(備忘録)(1)  

2012年 02月 01日
「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「はじめに」についてのメモでございます。




身分的な人間関係の様相について



「江戸初期にはまだ気の荒い戦国時代の風習が色濃く、文化的には上方が中心でございました」

 「歌舞伎」の語源である「歌舞く」=「傾く(かぶく)」は、「かぶ」が頭のことで頭をかしげるような行動、つまりは「常識外れ」「異様な風体」をすることだった。さらに転じて、風体や行動が華美であることや色めいた振る舞いを指すようになり、そのような身なり振る舞いをする者を「かぶき者」というようになった。
 「かぶき者」は、時代の美意識を示す俗語として天正頃に流行した。
 信長の没したのが天正10年だから、まさに信長全盛の時代の美意識だった訳だ。

 江戸初期にも「かぶき者」は残存していて、これを幕府は厳しく取り締まった。(参照:NHK番組「タイムスクープハンター かぶき者たちの夜」http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010018790SA000/ お試し視聴あり)
 おそらく「かぶき者」が世間を大手をふるって歩くことが、体制にとって示しが着かない悪影響があったのだろう。
 「かぶき者」は、私たちにはうつけ者と言われた青年期の信長を連想させる。信長は親族身内で骨肉の争いをした訳だが、安定した家父長制の主従関係を体制化しようとしていた江戸幕府も「かぶき者」をその疎外要因とみなした筈だ。

 「かぶき者」は公道のリアル世界から一掃され、「歌舞伎小屋」の「歌舞伎役者」の娯楽演劇のヴァーチャル世界に封じ込められて行く。
 私たちは、ここにも、
 「家康志向」=集団を身内で固める集団志向 の体制秩序
 「信長志向」=自由に活動している個々で集団を構成する集団志向 の反体制秩序
 の対立と相互補完の構造を見出す。

 一般に「世襲」というと、血縁継承を基本とするように考えられているが、それが徹底したのは身分の高い武家と大きな商家であり、一般的には「お家」を維持発展させるのが至上命題で婿や養子をとることは多々あった。
 さらに、武家社会と対峙した町人文化や庶民文化においては、「襲名」というその<世間>の誰もが認める実力者が名前を継ぐことが一般的だった。歌舞伎の◯◯座・◯◯屋、落語の◯◯亭・◯◯家、浮世絵の◯◯一門は、疑似「お家」の疑似「家父長制」と捉えることができる。これは基本、出入り自由の「信長志向」の集団志向に他ならない。
 武家の「お家」の主従関係は身分を踏まえた支配被支配関係なのに対して、庶民文化の疑似「お家」の主従関係は実力主義の師弟関係だった。
 商家の「お家」は「お店(たな)」において使用人にまで拡張されその主従関係は基本的には雇用被雇用関係だった。そこに<知>の師弟関係、<情>の親子兄弟関係、<意>の命令系統関係が重なった。現代日本の企業の人間関係の様相は、会社によって多様ではあるが、おおよそこの「お店」の様相が今でも展開している。おそらく人間関係の様相だけを取り上げれば、アメリカの企業よりも、江戸時代の「お店(たな)」の方に親近性があるのではないか。日本の場合、体育会系でなくても、テレビの芸人まで先輩後輩関係に細かくうるさいが、それは企業の人間関係にもあり、そこ一つとってもそうだと言えよう。

 着目すべきは、一般サラリーマンの場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相がそのまま年功序列といった組織制度に反映してきたのに対して、官僚や芸人の場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相とは別途、厳格な実力主義の組織制度が徹底してきたことだ。
 一般サラリーマンは、会社の雇用被雇用関係において位置づけられ、
 官僚は、試験と資格において位置づけられ、
 芸人は、お客の人気において位置づけられる。
 そういう組織制度の違いも反映している。
 官僚社会は、明治の近代国家樹立以来、自己保存の法則が働いて「家康志向」がどんどん拡張してきた。
 芸人社会は、戦後のテレビの発達に従って、人気芸人の入れ替わりが激しくなり、最近はコンビやトリオの一人が他とグループで出る「信長志向」がどんどん強くなってきた。
 こう比較してみると、サラリーマン社会が、江戸の「お店(たな)」以来、人間関係的にはあるいは恊働関係的には一番変化していないと言える。

 じつは、そうした企業社会の様相は、江戸後期に完成していたものに由来を求めることができそうなのだ。


「江戸中期になりまして、文化の中心が江戸の移ります。平和が定着し、武士も穏やかになりつつ、よりストイックになってまいります。
 江戸後期は江戸文化が成熟した頃ですな。文化も花咲きますが、武士の風潮や気質が庶民にも広まって、身分の違いが小さくなってまいります」

 ただし、この身分の違いが小さくなったのは、武士と町人の商人・職人そして商家的に隆盛した豪農との関係であって、貧農との格差や被差別民への差別はむしろ拡大・定着していった。量的には貧農が多いこと、質的には非差別民は貧農にもひどく差別されたことは留意すべきだ。

 こうした見方は、現代の企業社会にも当てはまる。
 就労環境が総じて過酷になると、正社員であれば、大手でも中小零細でも身分的な違いは就労環境が安穏だったころよりも意識されなくなった。定職を保っているだけでも御の字という階層が拡大したからだ。その分、それから漏れた派遣やフリーターへの差別や、彼らが、あるいは彼らとは結婚できないといった身分的とも言える格差は拡大した。

「微妙なところでは『町人』というのがあります。一般的には庶民と同義で使われますが、狭義では、庶民の中でも、表店(おもてだな)を営む以上の方々で、税金を納め、町の行政に関わる家の者を申しまして、貧しい裏長屋の住人などは含まれません」
 現代の正社員は「町人」、派遣やフリーターは「町人や豪農をさっぴいた庶民」に相当しようか。


「そして幕末の十年は、またきな臭い時代となって、あらゆることが変わってまいります」

 おおよそ、企業社会の身分的な人間関係の様相は江戸後期に完成していたものに由来し、それが今や制度疲労してきて幕末期のように揺さぶられていると、歴史をハイパーテキスト的に捉えることもできよう。

 

 
江戸の「間思考」について



「今日の方は、物事を『点思考』で捉えてますが、当時の方は『間思考』が基本でございました。
 それは時間感覚にも見られます」

 私たちは「◯時」と言えば、時計の短針が◯を指すその時を思うが、江戸時代の「◯つ」は、◯つの鐘がなってから◯+1の鐘がなるまでの「間」のことなのだ。
 だから、◯つに約束している人が、◯つの鐘がなり終わってそろそろ行くかと腰を上げてOKだったのである。今、そんなことをするのは、デートにわざと遅れて行くことで優位に立とうとする軽薄者くらいだろう。
 このことの根底には、時が太陽の出入りや月の出方にそっている、つまり自然観というか宇宙観がある。一時は2時間だから、◯つぴったりに来た律義者はへたすると1時間50分待たされても文句は言えないのだ。インドの場合、その日の内に会えればいいくらいの感覚だと何かで聞いたが、パンクチャルなクロックタイムで暮らしている現代人からずれば、江戸もインドも五十歩百歩だ。
 「間思考」には、日本人ならではの自然観や宇宙観が影響しているのかも知れない。


「人を見る時もまた『仕事や経歴、趣味』など、個人の情報ではなく、『親や家系、所属』などを見ました。
 本人よりもどのような『間』にいるかを重視したからでございます。

 これが社会(筆者注:私の用語法では<世間>)の基準ですから、責任も個人だけでなく所属する者全員に及びました
 この間思考というのは、一見曖昧で理不尽に思えますが、その反面、当事者は曖昧さの中から答えを出す判断力と責任が求められる考え方でもありました。

 社会の管理もまた間思考が基本で、それぞれの所属社会に、一義的な裁量権がございました。ですからそのルールも、今日の法律のように万人に共通するものではなく、所属する社会(筆者注:<世間>)によって異なりました」

雪印食品牛肉偽装事件において、告発をした冷蔵倉庫業者に仕事がぱったりこなくなったことは有名だが、業者の分際で得意先を告発するとはなんだ、というのが仕事をさせなくなった人たちが告発者に抱いた反感だったのは確かだ。
これは、それぞれの所属社会に一義的な裁量権があった江戸時代の因習が色濃く残存している、ということではないか。

最近では、オリンパスが辞めさせられた外国人社長によって告発されて、ついに自己再建が難しいという判断から資本業務提携することになっている。
これも、歴代の日本人社長は身内という所属社会での一義的な裁量権による処理をしてきた訳で、仮に日本人社長による告発ならば、ここまでの展開にはならなかった可能性が高い。
外国人投資家の利害を代表する外国人元社長による告発だったために、お上も対応を誤れば国際問題になるどころか株価のさらなる低迷をもたらしかねない。行政指導も強く働いた筈だ。



*次項では「巻頭コラム」についてメモさせていただきます。




# by cds190 | 2012-02-01 18:09 | 文化力発想な世間話 ■■

いま「社会改革派が集う企業間フューチャーセンター」が民から求められている  

2012年 02月 01日

(facebookより)



ずばり今、社内改革派ではなくて「社会改革派が集う企業間フューチャーセンター」が民から求められています。民間企業には多様なリソースがありそれを異業界異業種間で繋げれば「人を愛し、国を愛し、勤めを愛する精神」が活性化し、働きがいも社会への貢献も飛躍的に向上。「社会改革派の人材」は、会社への帰属よりも社会を良くすることを優先しますから、競合他社の競争相手とでも社会起業家としては恊働相手にもなり得る。仲間として独立起業してもいいし、業界企業協賛の社会貢献事業を社員でいながら共同発起することもできる。まさに現代の亀山社中・海援隊が孵化する場となります。


「フューチャーセンター」と「U理論」と「日本の民のニーズ」を繋いで、<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>で未来の民の理想状態から創造すれば、そういうことは誰もが発想するのではないでしょうか。


社員の大方は「社内改革派」であると自負してますが、「社会改革派」たろうとする人材は極めて少ない。これは維新の時と同じです。で、この人たちが社内で孤立しておしまいではなく、社会で繋がって頑張らないと民は窮するままになります。そうなれば「社内改革」どころじゃなく「社内サバイバル」で必死となる、というかすでにそうなっています。


省エネ節約、再生エネルギーの活用、環境保全、各種汚染の防止、健康被害の回避、市民参加による防犯や防災、市民コミュニケーションの社会化=マス化や教育化などなど、多様な民間企業の「社会改革派」たろうとする人材が繋がれば、民がいいね!という発想とその具現化アプローチがフロー状態になるでしょう。




<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>だと、世界や宇宙と一体化しているからたとえ孤軍奮闘でも孤独を感じない。だが、<閉ざされた思考><閉ざされた心><閉ざされた意志>だと、多人数が集い寄り添ったとしても砂粒のように孤独だ。「出現する未来」が言う「断片化」や「測定」が人についても行われるのだ。引用された認知生物学者マトゥーラーナの言葉『知性を豊かにする感情は愛しかない』はほんとうだ。




# by cds190 | 2012-02-01 11:43 | 文化力発想な世間話 ■■

NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」  

2012年 01月 31日
NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」
http://t.co/4mYfCwM7



12分経過したところで被曝貨物船員が国から、広島長崎の人ではないという理由で被爆者申請が却下された話がでてきた。びっくりした「口之津」の人たちだったからだ。私は不思議な縁で、雲仙普賢岳が爆発した直後、この小さな港町に行っている。天草の乱の当時、キリスト教宣教師の育成センターがあった。今はあるお寺になっている。

30分経過したところからトンでもない事実が明かにされる。アメリカはワシントンが核攻撃された時のシミュレーションのために核実験を繰り返したのだ。日本列島全体が汚染されることも分っていた。なんと実験事前に放射能汚染観測所が122箇所設置されていた。それには三沢、東京、広島、長崎、嘉手納も含まれる。




<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>だと、世界や宇宙と一体化しているからたとえ孤軍奮闘でも孤独を感じない。だが、<閉ざされた思考><閉ざされた心><閉ざされた意志>だと、多人数が集い寄り添ったとしても砂粒のように孤独だ。「出現する未来」が言う「断片化」や「測定」が人についても行われるのだ。引用された認知生物学者マトゥーラーナの言葉『知性を豊かにする感情は愛しかない』はほんとうだ。




# by cds190 | 2012-01-31 23:23 | 文化力発想な世間話 ■■

「U理論」読前所感の備忘録  

2012年 01月 30日
(Facebookより)



「U理論」、じつはあまりの分厚さに「はじめに」を読んで長いこと止まっていた。これでは行けないとまた「はじめに」を読み返し、今の自分にこそ問われていることだと改めて思った。すると5〜6年前「出現する未来」を読んでブログ記事を書いたことを思い出した。この際、当時のシャーマーから復習、そして自分から反省することにした。

「未来を出現させるシナリオ・プラニングとは (1/3) 」  
 http://cds190.exblog.jp/3760363/

「未来を出現させるシナリオ・プラニングとは (2/3) 」
 http://cds190.exblog.jp/3776127/

「未来を出現させるシナリオ・プラニングとは (3/3) 」
 http://cds190.exblog.jp/3779727/


 ↓


「U理論」、ちゃんと読んだのは「はじめに」だけで、まずは5〜6年前の「出現する未来」を復習すると言ったけど、確認したいことがある。
それは、当時から、センゲのシナリオ・プラニングの南アと、『紛争の心理学』の著者でプロセス指向心理学のアーノルド・ミンデル、そのワールドワークとの対照があって、
シャーマンの「U理論」は後者のニュアンスを高めているのかも?ということ。

私の関心事、集団独創の方法論、という点では、「『ワールドワーク』から組織療法『デザイン・コミュニケーション・エクササイズ』を学ぶ」といったことに集中して確認したいです。
 http://cds190.exblog.jp/6064584/

ミンデルはアメリカのユング派の代表格で、「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」のデヴィッド・ボームとも一脈通じています。その一脈とは、<因果律>重視から<共時性>重視へ、合理性から合目的性へ、決定論から非決定論へということです。日本人が大切にする<縁起>は、そもそも渾然一体だった両者を調和的に統合する原理なり契機です。


 ↓




センゲのグループで「出現する未来」を共著したフィッシャーから、「U理論」を著したフィッシャーに至る間には大きな変化があったように感じる。

良く例に上げられる南アのアパルトヘイトを解消に向かわせた対話は、シナリオ提示を踏まえてするもので、そのシナリオは「シナリオプラニング」による。その「シナリオプラニング」はセンゲの「システム思考」の延長にある。
「システム思考」は問題や課題や解決策の全体をシステムとして俯瞰するものだ。

この流れと、「U理論」の、変化を求める主体たちは<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>を持つことを起点とすべし、という主張とは、全体と中心と言える対照があって相互に補足的である。
つまり、これまでのセンゲのグループの流れの延長で出て来たとは考えにくい。
むしろ、古典的にはユング、現代的にはそれを踏まえるボームの「ダイアローグ」や、現代のユング派であるプロセス指向心理学のミンデルの「プロセスワーク」(紛争解決としては北アイルランドを事例とする「ワールドワーク」、その場で起こっている出来事に隠された意味に着目する)に重なる考え方やアプローチであると言えまいか。
(参照:「プロセス指向心理学から発想ファシリテーションが学ぶこと」    
     http://cds190.exblog.jp/6044578/




南アのシナリオを提示しての対話の挙げ句に「白人も黒人も祖国を愛している」という情緒性に行き着いた経過も、
北アイルランドのカトリック教徒とプロテスタント教徒によるミンデルの「ワールドワーク」の経過も、
いずれにせよ、最初から<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>の持ち主ばかりが参加していたのではなく、実際はむしろ逆だった。
実際は、過激な議論から始まりやがてまともな対話に移行し、その過程で少しずつ生まれた利害対立者間の共感が、出現する未来から学ぶ自己改革を促して「共創造」や「共進化」をもたらした。そう彼らの著作は記録している。

この点で、私たちが「U理論」を読んで、<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>の持ち主であることが対話に参加する不可欠の条件であると捉えるならば、それは大きな誤解と言えよう。
それは理想だが、一般的には困難であるのが現在の私たちの現実だ。

たとえば南アにしても、グローバル化する未来に脱落しないようにと、「人種の身内」を解消し「南ア人の身内」に転換させたが、現在は「富者の身内」と「貧者の身内」の対立が発生していて、かつて<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>の持ち主だった対話者や対話に共感した人々が、今もそうかというと、そうですとは言い難い。
たとえば日本の労組は「正社員の身内」を堅固に前提していて、非正規社員の社会問題にまともに向き合っているとは言えない。そうするためには、議論や対話に派遣社員を正社員同等に参加させねばならないが、そうしたことが日常的に行われている動きは乏しい。
私たちが「U理論」を読んで、<開かれた思考><開かれた心><開かれた意志>の持ち主であることが対話に参加する不可欠の条件であると捉えるならば、正社員は派遣社員の「余所者」の扱いと排除から改めなければ、何も始らないことになる。
むしろ南アや北アイルランドの対話に学ぶのであれば、「余所者」の扱いと排除を改める過程として、「U理論」や「ワールドワーク」の対話を捉えて実践すべきなのではないか。




欧米の「社会」と「個人」の問題は、そのまま日本の場合に当てはまらないことが多い。
日本は「世間(自分を取り巻く人間関係の総体、複数のそれに属する)」と「自分(世間において位置づけられる分)」の問題としての側面が強いからだ。
そして、
その「世間」には、
集団を身内で固める「家康志向」の「世間」と
自由に活動する個々を集団に構成する「信長志向」の「世間」がある。
いま私たちを取り巻く日本社会の硬直化や膠着状況は、「家康志向」一辺倒化によるところが大であり、
歴史的にそうした状況を打開してきたのは「信長志向」だったが、
いま現在もそれが求められている。

坂本龍馬や勝海舟を例示するまでもないが、
「信長志向」のハブ型キーマンが最終的にやったことは、大きな利害対立の解消だった。
もし、ワールドカフェやフューチャーセンターを、立場は違うが利害を同じくする人々だけが集うものとするならば、それはそれで価値があるが、大きな利害対立がなぜ起こっていて、その意味は何かをともに見出したり、新たなディメンジョンやフィールドでそれを解消する、という南アや北アイルランドの対話には向かいようがない。

信長短命のために、「家康志向」のようには日本人全体の血肉や日本社会全体の枠組みにならなかった「信長志向」の探求と現代化・国際化を私が最大の関心事とするのは、そのためだ。
「家康志向」が定住民重視の農本主義ということは、知識創造分野をある程度固定した専門家重視、そこでの反復的な知情意の耕し主導となる。
一方、「信長志向」は移動民・転住民重視の交易主義ということは、知識創造分野を適宜に連携するハブ型キーマン重視、彼らによる一過的な知情意の交換主導となる。

南アに乗り込んだセンゲや北アイルランドに乗り込んだミンデル、私の場合、彼らに学び倣いたいのは何よりも、彼らのニュートラルな「余所者」として「身内A」と「身内B」の利害対立を解消した「信長志向」的な行動スタイル、言動スタイルだ。


以上のような立場・観点から「U理論」を読み多くの示唆やヒントを得たいと思う。




# by cds190 | 2012-01-30 15:48 | 文化力発想な世間話 ■■

日本語ならではの「手」の情緒性や暗黙知をともなう身体語/雑考  

2012年 01月 28日
日本語ならではの「手」の情緒性をともなう身体語について



身体語は日本語だけでなく、世界の言語で多様に多用されている。
しかしその多様性と多用性には、それぞれの言語にそれぞれならではの特徴がある。
それは具体的に比較検討しないと分らない。
そこでざっくりとだが私なりに、以下のような中国語と英語との比較検討をしてみた。

「日本語の身体語の特徴を中国語から探る(0)」http://cds190.exblog.jp/10157213/
「(1) 頭」http://cds190.exblog.jp/10164295/
「(2) 耳」http://cds190.exblog.jp/10167872/
「(3) 目」http://cds190.exblog.jp/10173932/
「(4) 顔」http://cds190.exblog.jp/10183537/
「(5) 鼻」http://cds190.exblog.jp/10188477/
「(6) 歯」http://cds190.exblog.jp/10238409/
「(7) 口」http://cds190.exblog.jp/10250321/
「(8) 首」http://cds190.exblog.jp/10276591/
「(9) 肩」http://cds190.exblog.jp/10281108/
「(10) 胸」http://cds190.exblog.jp/10299839/
「(11) 心臓」http://cds190.exblog.jp/10301839/
「(12) 腰」http://cds190.exblog.jp/10312630/
「(13) 腹」http://cds190.exblog.jp/10315319/
「(14) 尻」http://cds190.exblog.jp/10320277/
「(15) 手」http://cds190.exblog.jp/10320567/
「(16) 腕」http://cds190.exblog.jp/10342867/
「(17) 足」http://cds190.exblog.jp/10343472/
「(18) 気」http://cds190.exblog.jp/10355772/
「(19) その他1/2」http://cds190.exblog.jp/10365804/
「(19) その他2/2」http://cds190.exblog.jp/10371937/


この結果、確かな事実として確認したのが、
「情緒性をともなう身体語」が日本語ならではの特徴である、ということだった。

まずはこのことを「手」の身体語において復習してみたい。


「手」に限らず身体語には、
「リアルな身体部位」をどうするこうする、という表現と、
「ヴァーチャルな身体部位」をどうするこうする、という表現がある。

たとえば「手を上げる」は、実際に「リアルな手」を上げる「殴る」を意味する。
また「手を上げる」は、実際に「リアルな手」を上げる場面の有無に関わらず「何かをやります!と自己申告する」ことを意味する。この場合、「手」のヴァーチャル度が増していて、「ヴァーチャルな手」のニュアンスも漂ってくる。

もう一つ、例を上げよう。
百人一首の歌留多取りでする「お手付き」は、実際に「リアルな手」が誤った歌留多に付いてしまっているミスを意味する。それがクイズ番組でボタンを押し間違うことにも拡大されて「お手付き」と言うようになった。
一方、将軍が大奥の女中にする「お手付き」は、「リアルな手」も付けたかも知れないが付けた「リアルな身体部位」はそこにとどまらず、行為も付けたというよりもっと濃厚なものだった訳で、肉体関係をもったことを意味する。この場合も、「手」のヴァーチャル度が増していて、「ヴァーチャルな手」のニュアンスも漂ってくる。

自己申告することの「手を上げる」や肉体関係をもったことの「お手つき」のヴァーチャル度が増して、どうなったかと言うと、具体性が減少してその分抽象性が増した。
どのような抽象性が増したかというと、情緒性なのだ。
「手を上げる」には自己申告するという機能的な意味合いには含まれない、主体的に、という情緒性が含意されている。
「お手付き」には肉体関係をもつという機能的な意味合いには含まれない、強要的に、という情緒性が含意されている。
そこをわざわざ、主体的に、とか、強要的に、と言わないところが日本語ならではの奥ゆかしいところだ。
実際に「情緒性をともなった身体語」は日本語において著しく多く、それに比べれば中国語や英語には著しく少ない。


さらにヴァーチャル度=抽象度を増して行って、完全に抽象的な「ヴァーチャルな手」がある。
「ヴァーチャルな手」をどうするという動作、どうしたという状態をメタファー使いする表現がある。
詳しくは、
「日本語の身体語の特徴を中国語から探る(15) 手」http://cds190.exblog.jp/10320567/
で検討しているが、
「手」が、作業や労力、助け、人員や人材、自分自身ないし自身の所有や能力、手段や対処、修改、闘いないし闘い方や作戦、対応や対応能力、購入能力や所有能力、種類や類、方向、筆跡、細工、負傷などを意味する。

こうした「ヴァーチャルな手」をどうするという動作、どうしたという状態をメタファー使いする表現は、中国語にも英語にも同様にある。
むしろ中国語の「手」を使った言い回しの方が、日本語に比べ格段に豊富で多様なニュアンスを使い分けていることは特筆すべきだ。日本語の方に中国語に似通った身体語表現がないものが沢山ある。
(英語の場合は、むしろ「リアルな手」をどうするという動作の表現が日本語や中国語に比べて格段に豊富であることが指摘される。)


「手」に関わる身体反応や情動反応がいろいろある、そのあり様は人類普遍だ。
しかしその内、どれをメタファー使いの表現対象とするか、またどんなメタファー使いで表現するかについては各国語の文化差が大きく出てくる。

注意すべきは、ヴァーチャル度=抽象度を増して行って完全に抽象的な「ヴァーチャルな手」に至ると、「情緒性をともなう身体語」は英語でも同様にあることだ。
つまり、その領域では日本語ならではとは言えないということだ。

たとえば、「お手上げ」「手詰まり」は、「手」が手段や対処のメタファーでそれがもう無いことを意味し、ネガティブな情緒性を含意するが、英語にも
「heavy on(in) hand」=手に負えない
「out of hand」=手に負えない、手に余った
「throw up one's hands,throw one's hands up」=お手上げである
といった同様の表現がある。

つまり、日本語ならではの「情緒性をともなう身体語」というのは、
厳密には、
半分は具体的な「リアルな手」のニュアンスがあり、半分は抽象的な「ヴァーチャルな手」のニュアンスがある、という中間=あいまい領域の表現に限定されるのである。

そしてそのあいまい性が、あいまいさゆえに取り込んで表現するのが、その時その場その人間関係における暗黙知なのである。

完全に抽象的な「ヴァーチャルな手」のメタファーになってしまうと、それは抽象的意味合いを確定するために、こうした不確定性が入り込む余地がない。そうした確定性の表現については、日本語も英語も中国語も同じだ。
これに対して、場の文脈に依存した暗黙知を敢えて取り込む表現を重視するところが、日本語ならではの特徴なのである。

じつは、以上のことは、前記事シリーズを書いていて気づき、とりあえず備忘のため本論を雑考として書いている次第だ。


まだ「手」についてしか確認していない。いずれ「手」以外の身体部位の身体語についても確認してみようと思う。
ここでは、ちょっとだけ「骨」絡みの検討をしたい。

「骨を折る」は、努力するには含意されない情緒性を含んでいる。
言葉の成り立ちとしては、最初にほんとうに「リアルな骨」を折るほど努力をした人がいたのだろう。そして、それほどの辛さ大変さという情緒性をともなった努力を「骨」ないし「骨折り」というメタファーで表現するようになったのだろう。
私たちが「辛く苦しい」とか「大変な努力」と直接的な表現をしないで「骨を折る」と言うのは、それでしか表現が及ばない何かがあるからである。
ちなみに中国語では「お疲れさま」の意味で「辛苦了」という。
一方、日本語で「お骨折りいただきました」と言えば、それは「お疲れさま」以上の何かを含意している。
それは何かと問えば、辛苦や努力の大小に関わりなく話者が相手に「済まない気持ち」を抱いていることだと思い当たる。この場合、「お疲れさま、大変だったね」では言葉が足らないのだ。かと言って「済まなかった」と詫びる類の済まなさではない、そんな中間=あいまい領域の情緒性なのだと思う。

こういうことは、「手」に限らず、「骨」のほかすべての身体部位の身体語にも共通して言えると予測する。




日本語ならではの「手」の暗黙知を取り込む身体語について



今回、以上の気づきと同時にもう一つ気づいたことがある。
それは、日本語ならではの身体語の特徴は、話者がもっていて時に相手と共有する暗黙知を取り込む、ということだ。
この暗黙知には、身体の持ち主本人しか実感できない身体知も含まれる。

たとえば、
「手加減する」
どのくらい加減するかは暗黙知である。

「手心を加える」
手段や対処において何をどうするのかは暗黙知であり、会話でもそのままにされがちだ。

「手塩にかける」
辞書によると、自分で直接世話をして大切に育てることとあるが、日常会話で「手塩にかけて育てた娘」と父親が言えば、父親が養育したのは当たり前で、では母親のようにかいがいしく身の回りの世話をしたかというとそうではない。つまり、辞書の語彙に含意されない何かを表現しようとしている。
それは、言葉に表せないように「大切に」というニュアンスだと思う。それを話者は相手に分ってほしいと思っているから、「大切に育てた」ではなく「手塩にかけて育てた」と言うのだ。この言葉に表せない内容が、本人しか知らない暗黙知であり実感できない身体知に他ならない。

日本人が古来こだわってきたのは、そういう中間=あいまい領域であった。
そのことが「手塩にかける」の語源からも分る。
「手塩」の語が見られるのは室町時代からで、膳の不浄を払う小皿に盛って添えたもののことだった。それが後に食膳に添えられた少量の塩を表わすようになり、その塩が味加減を自分で調えるものだったために、自ら面倒を見ることを「手塩に掛ける」と言うようになった。「手塩に掛ける」と使われた例は江戸時代から見られる。
つまり、自分のことを自ら面倒を見ることが、江戸時代には娘のことでも父が自ら面倒を見ることに使われるようになっていた訳で、その過程で何が温存されたのかと言えば、対象が何かに関わらず「自ら面倒を見る」意味であり、その暗黙知を取り込む表現だったと言える。

おそらく江戸庶民の多くは私同様に膳の盛り塩の語源は知らず、手に塩をふっておにぎりを愛情をこめて握るような情緒性を想起したのではあるまいか。
また、よく現代でも政治家が使う「汗をかく」という言葉があるが、あれも実際何を意味しているか分らない暗黙知だが、汗は塩を含んでいて乾けば塩が出る、そういうことをイメージする庶民も、江戸、現代とも多いだろう。
いずれにせよ語源的には不正解でも、話者の暗示したいことの受け止めとしては正しい。というか話者の江戸庶民も現代人もそのような印象で慣用句として使っている可能性が高い。
そして、それは日本語が乱れているといった否定的な状況ではなくて、日本語ならではの特徴が健在に息づいている状況と言うべきだろう。


「手筈」
辞書には、物事をする際に、前もって決める手順。また、前もってなすべき準備のこととある。
つまり、「手筈」=「手順」ではない。
「手筈」は、前もって決めたあくまでそういう「筈」の「順序」である。
この「筈」が、話者がもっていて時に相手と共有する暗黙知を取り込んでいる。
たとえば誰かのお迎えの「手筈」の場合、どこどこに何時何分、誰が迎えにいくという明示知の「手順」だけでない。「手筈」には、迎える相手に失礼がないようにとか、機嫌を損ねないようにとか、言わずもがなの暗黙知を加味することもできる。これが「手順」にはできない。

こういう日本語ならではの語用は、「手」に限らずすべての身体部位の身体語にも共通して言えると予測する。



以上、検討してきた、
場の文脈に依存した日本語ならではの特徴的な語用としてある、
話者がもっていて時に相手と共有する暗黙知を取り込む身体語遣いが集中表現する内容は、
「コンセプト思考術」の思考フォーマットにおける「モノの感覚」と「コトの感覚」に該当する。

そして、
半分は具体的な「リアルな手」のニュアンスがあり、半分は抽象的な「ヴァーチャルな手」のニュアンスがある、という中間=あいまい領域とは、
「モノの感覚」と「コトの感覚」とが融通無碍に交錯する概念領域に他ならない。
日本語と日本文化を土台にした日本人の発想思考の特徴、認知表現パターンの特徴は、まさにこの概念領域が鍵になっている。

私は、こうした日本語ならではの言葉遣いをすることが日本的な発想思考を自動的に促進すると短絡はしない。
こうした日本語ならではの言葉遣いでしか表現できない考えや行いを重ねる、
そしてその経過や成果をそれにふさわしい言葉遣いで表現して対話することで、
日本型の集団独創が深まる、
と考える。

 



(追記)

昨夜、たまたまNHKでやっていた若手サラリーマン指南番組「めざせ!会社の星」を見かけた。
そこで、バブル期に入社した中間管理職がいかに現代の若手社員を指導するかを解説していた。
ある大手保険会社の、部下たちから理想の上司として表彰された営業課長が登場し、仕事の段取りがまだ分らない新入社員には、営業ツールを本人名で作ってあげて、営業訪問先リストをネットで調べて作ってあげて、事前に郵送して届いた頃に訪問するなどの手順を教えていた。
また、自分で考え動けるようになったやる気のある社員には、自分の上司である営業本部長にわざわざ職場にご足労願い、サプライズ的に当人を直接褒めてもらっていた。
この営業課長は、自分が若手だった頃は上司は何も教えてくれず見て盗め的なやり方だったので、最初は黙って俺についてこい的に背中で示すのを今の世代にも試したのだがまったく相手にされなかったという。
大手保険会社の営業部隊と言えば、フラットな機械論的な組織制度において営業マンを機械部品のようにマニュアルと知識共有で働かせるのが一般的で、その会社も平均的にはそうなのだろう。しかし、理想の上司として全国区で表彰された営業課長は、多様化した今の若者世代に対して個々の社員の個性に合わせた対処をしているのだ。

その様子をテレビで見ていて私は、「手練手管」という言葉が浮かんだ。

はっきり言って、段取りできない新入社員のバックアップは、もし営業課長が営業先への訪問もしたら本人のやることは何も残らないくらいで、古い世代からすれば管理ではなく媚びているとさえ見えただろう。もちろんずうっとやって上げる訳ではなく、徐々に自分でやれるように導いているのだが、古い世代はそれができない。一般的には課題を一方的に部下に想定し、上司としての自分には想定しない人が多い。まして個々の部下ごとに自分の課題を想定する多様性は乏しい。
大口契約をとった社員のところに営業本部長にわざわざ足を運んで褒めてもらう、などは褒められた部下のうれしさが課長と本部長では格段に違うという人の心の機微をよく分ったやり方だ。
まさに「手練手管」という身体語がふさわしい考えや行いだった。

江戸人文研究会編「江戸の用語辞典 時代小説のお供に」によると、
「手練(てれん)」についての説明はこうだ。
「嘘、ごまかしの意になります。
 または、人を操る技のことを申しまして、
 『手練手管』とは、人を操るあらゆる技、策略のことでございます」

しかしここでも、「人心操縦術」といった言葉では表現しきれない「手練手管」の含意があると思われる。

そこで同書で「手管」を調べてみるとこうあった。
「①精神的な駆け引きの技のことで主に女性が男性を色仕掛けで操る技を申します。
 ②[間男]や情夫といった浮気相手の男性のことでございます」

これを読んで、現代の理想の上司の営業課長を見て「手練手管」という言葉が想い浮かんだ理由が分った。
若い頃の営業マンの彼と元上司との関係を「男性同士モデル」とすれば、今の彼と若い世代の部下の関係は「男女関係モデル」と言えるくらい人間関係の質が違っている。
男性の上下関係が画一的であるのに対して、男女関係はそれぞれに違う。

営業課長は、ある新入社員には母親的に対応し、ある意欲的な部下には兄貴的に対応している。
個々の部下に対して関係性を微妙に多様化させているのである。
これは、機械論的なマニュアルと知識共有による管理ではないばかりでなく、それと同様に課題が一方的な「人心操縦術」といった管理手法とも一線を画している。
「手練手管」を現代的な管理手法として創造的に解釈すれば、課題を上司が部下に与えるだけでなく、上司は上司としての課題を部下それぞれに応じて見出すことを常に考え行っている、ということになる。
相手を操る技が先にあってそれを巧みに使うのではない。中間管理職が自らの課題として考え行ったことで相手が動いてくれる、その結果が技に収斂していく、と言うべきだろう。
だから、あの課長はやり手だ、部下をやる気にさせる「手練手管」に長けている、と誰かが赤ら様に言ったとしても、それは、本人でないと分らない暗黙知や身体知を取り込んだ肯定的評価であると本人も周囲も理解する。「手練手管」の語源を遡ればけっしていいイメージではないが、語源に照らす者などいない。

理想の上司に選ばれた営業課長は、こうした「手練手管」をビジネス本で学んだのではないだろう。
部下それぞれに相対する日々の現場で創意工夫した成果に違いない。
そこには、リアルな状況が半分、こうすればいいのではないかという仮想つまりヴァーチャルが半分あり、そんな中間=あいまい領域での発想思考を、彼は自分の言葉で、つまりは日本語ならではの擬態語遣いや身体語遣いで考えた筈だ。
あの新入社員には、手取り足取りやってやる(事細かく支援するだけでなく、そこまでやってもらうとやるしかないという気持ちにさせる)べきだな、とか。
あの意欲的な部下は、もっと持ち上げてやろう(身体を持ち上げることが、ほめるだけでなくいい気持ちにさせプライドを高めることのメタファーになっている)、とか。

番組では、こんな部下への対処も紹介されていた。
お得意様から保険料の決済方法を変えて欲しいと要望された営業マンが、本社からダメだと言われて板挟みになってしまい上司の営業課長に相談した。相談された課長は即、部下の目の前で電話をとり本社と掛け合った。結果、やはりダメということが分り、その場で部下と一緒にお得意様に行くこうと方針を打ち出した。
番組は、「即決速攻」を良しと解説していたが、私は「即決速攻」では表現されていない内容が本質だと思った。
「親身になる」である。
「親(しん)」は親戚など人間関係的に近しいことを意味する。だから「親身」とは、身に寄り添って人間関係的に近しいことを意味する。
営業課長が、相談されたその場において「部下が自分の言動を見聞き出来る状態で」即決速攻したことこそ、あの番組の映像が物語っていたことの本質である。
部下を営業本部長に褒めてもらうためにご足労を願った電話を、わざわざ廊下に出て隠れるようにケータイでやっていた営業課長は、相談された部下の目の前で自分のデスクの固定電話で周囲に声が聴こえる状態で本社と掛け合ったのには、信頼関係の可視化、可聴化という意図があったことは明らかだ。
こうした複雑かつ精緻な暗黙知の本質を「親身になる」という身体語は絶妙に取り込んでいるのである。

この営業課長が「手練手管」という言葉に行き着いたかどうかは分らない。
しかし、個々の部下に対応する個別具体的なやり方の妙や接し方の機微は、場の文脈に立脚しそれを生かす日本語ならではの語用で表現されるものだったのは確かだ。
なぜなら、それこそが職場に腰をすえてできる地に足のついた身体的な暗黙知の体系化だからである。




# by cds190 | 2012-01-28 16:55 | 文化力発想な世間話 ■■